「てへっ」の起源

マンガの表現の起源を調べるというのはなかなか大変なもので、もちろん資料へのアクセスが古くなるととても困難になるということがあるのだけど、最近は復刻ラッシュもあり、意外なところで意外なものを見ることがある。
「てへっ」というと少女まんがの照れ笑いを思い出す人が多いだろうが、このせりふ、実は戦前の初期のナカムラマンガでよく使われていた。ナカムラマンガというと大城のぼるが有名になってしまったが謝花凡太郎と新関青花が代表的な作家である。1980年代から90年代に松本零士のコレクションから復刻した(竹内オサム二上洋一が編集に参加している。横田順彌の名も見られる)、三一書房の「少年小説大系」の少年漫画編に再録された彼らの作品には「テヘッ」が結構頻出するのだ。
大城のぼるの「愉快な探検隊」や謝花凡太郎の「まんが忠臣蔵」を見ると、チャンバラで首が飛んだり胴体真っ二つなんてシーンが頻出し、「あばしり一家」みたいに切られた首がやられたあとか叫んだりしている。胴体を切られても上半身と下半身が勝手に動き回る怪人とか、誤って首を切られてくっつけると元に戻る猿の子供とかも出てくる一方で、首を切られて退治され倒れたきりの鬼が死屍累々としている場面などもあるが、初期のナカムラマンガはそういう大人が顔をしかめるような子供向けのエンターティンメント路線であったらしい。謝花凡太郎と新関青花は戦後も漫画少年で筆をとっていたが、大城のぼるは独自の進化を遂げつつ戦後も彼らからは離れていったようだ。いっぽう新関の戦中の漫画は生活もの路線に移っていく。動物に擬せられたキャラクターを得意とした新関は戦後、健之助名義で有名な「かば大王さま」などの作品を残すが、これは戦前からの流れがそのまま続いているような感じである。戦争も深まると、動物キャラも問題があったのか普通の子供たちが描かれるようになるが、空襲が描かれていながら射撃を受けることもなく日本の飛行機に追い払われてのどかで平和な日常が描かれるという「仲良し日記帳」なんて作品もある。ちなみに大城の「汽車旅行」は中村書店ではなく二葉書房から出たもので、中村のカラーからは外れた感じである。
まえに「汽車旅行」と石森漫画の類似について描いたが、そういうわけで初期のナカムラマンガが70年代のマンガに密輸入されていた可能性はないだろうか。作家に聞けばわかると思うのだけど。

擬人化ならぬ擬動物化マンガにも興味がある。有名なアート・スピーゲルマンの「マウス」はナチス捕虜体験を描写しているが、人種を動物の顔で区別しているのである。こういうのは「記号化」(という奇妙な言葉で示されるもの)ではないのだろうか。「記号的身体」論以降へのちょっとした違和感は、まさにこのような作品が存在していることについて特に見解が示されていないことにある。

マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語

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