みなもと太郎先生画業40周年を祝う会のこと

この連休も体調は最悪だったのですが、ちょうど三連休の真ん中で夕方から開催とのことで、会費が高いなあと思いつつ出かけてきました。みなもとさんには、あすなひろし作品選集を出すことが決まった初期の段階で、Web現代に載せていた追悼文を読んだTさんがコンタクトをとってプロジェクトのメンバーが集まって初めてお会いしたのが、もう5年前くらいになるのでしょうか。自分はほとんど作品選集の出版事業には貢献していませんが、この時はちょうど弥生美術館で和田慎二さんが私家版で作った水野英子選集の「すてきなコーラ」を手に入れており(連載時の表紙まで復刻した完全版。この頃はまだソフトウェアで雑誌起こしで汚れや裏写りを修正するなんて酔狂なことは誰もしておらず、補修は大変な作業だったとのこと)、この編集を手がけたプロダクションはあっさりわかったのでTさんに情報を伝えたりしていました(なんとそこからあすなひろしの元担当者にコンタクトがとれた)。この時の集まりでCD-Rで焼いて出そうかという当初のつつましいプロジェクトは、みなもとさんが同人活動をしていたこともあって、商業誌にひけをとらない印刷品質の同人誌のプロジェクトに変わっていったのでした。
そのあとTさんがあすなひろし論を出すのにコメントをもらえないかというお誘いがあってそれがきっかけで日本マンガ学会に入って、アジアMANGAサミットが開催された時もTさんにくっついて打ち上げのパーティーに潜り込み、バロン吉元さんや米沢嘉博さんにあすなひろしの思い出話を聞くことができたのでした。なお、この時わたしはマンガ学会の発表であすなひろし論ではなく、夏目さんや竹熊さんの書いた「マンガの読み方」などの表現論のうち「間白」の機能について異論を呈しつつマンガの読み方の不確定性を論じようとしたのですが、素人がいきなり申し込んでプレゼンも十分でなく途中をはしょるというていたらくで、発表は時間超過でひどかったのですが、隣の部屋では水野英子ちばてつや、わたなべなさこ、上田トシ子、今村洋子花村えい子、むれあきこ、北島洋子、望月あきら、丸山昭元少女クラブ編集長、新井善久元フレンド編集長というメンバーで昭和30年代の少女マンガ表現を紹介する催しがあり、途中抜け出てそちらばかり聞いており、石森作品の斬新なコマ割りなどを見て、あすなひろしのデビューした少女クラブを一通り検証してみようという気になりました。そこで調べているうちにさらにあすなひろしから離れていくので、わたしはあすなひろし論の続きを書くのじゃなかったのかと思われているようですが、あすなプロジェクトの中では解説を書いている小松どど(ペンネーム)氏が実際の原画や原稿を見ている量でも生前に直接会って話を聞いた回数でも断トツであり、編集にほとんどかかわっておらず原稿をじっくり見る機会もあまりもっていないわたしの出る幕は今のところないといっていいでしょう。小松さんからまとまったあすな論を書いてもらえるといいんですが。
さてそういうわけで社交家でやり手のTさんは、あなたみなもと先生の秘書ですかと思うくらいの活動でパーティーやイベントを開くごとに名刺交換してコンタクトを広げ、マンガ業界、同人誌界、マンガ研究界、ひいては芸能界にまで人脈を拡大し、同人活動も宣伝が効を奏して出版社から本を出させるわの大活躍で、もちろんみなもと先生の画業のすごさはわかるひとであればみんな知っているのですから、招待状をもらってパーティーに参加したメンバーはちょっと他では見られないような豪華さでありました。わたしは顔は覚えたけどご挨拶するほどマンガ界に足を突っ込んでいないので、つま先をちょっとつっこんで業界人からは嫌がられているだろう困ったなあという心持ちで参加しましたが、初めて会ってからあすなプロジェクト自体がもう7年も経っていることもあって、久々に旧交を温めました。これもTさんのおかげです。

それにしてもすごかったのは画業40周年記念祝辞の冊子「お楽しみをもうひとつ」の締めくくりを飾った、元ネタである「お楽しみはこれからだ」の著者である和田誠氏が寄稿した4ページ。それまでの内容もマンガ界でそうそうたる顔ぶれがお祝いで「お楽しみはこれもなのじゃ」のパロディを書くだけでも豪華に見えたところが(さいとう・たかを先生の風雲児たちゴルゴ13バージョンで締めくくっても十分豪華)、最後の和田さんは原本のレイアウトと合うようにきちんとデザインして、しかも4つの漫画を採り上げつつ、みなもとさんへの祝辞としてもくすぐりとエスプリが効いていて、和田さんに依頼したTさんもしきりにプロの大物の仕事はすごいと感嘆しておりました。
ちなみに4つの作品をあげておきます。これがまたシブいセレクションなのでした。

「長靴の三銃士」昭和五年、牧野大誓作、水元水明画。長靴は頭にかぶっているのです。イラストでは昭和九年続編の「無敵三銃士」を紹介(名セリフは「贋物が出るとはブッサウな世の中ですなあ」)
「フクちゃん」昭和十一年、横山隆一、朝日新聞(和田誠氏生年。最初は「江戸っ子健ちゃん」)〜昭和四十六(1971)年、毎日新聞。途中で新聞を移っていますがいわずと知れた長期連載でした。
「凸凹黒兵衛」昭和八年〜昭和十三年、田河水泡、婦人倶楽部。ウサギの黒兵衛には白ちゃんという女の子のお友だちがいるのです。紹介されているイラストは昭和九年の「人真似猿」と言う漫画を読んでいるシーンで、その漫画で猿にからかわれた侍が首をみねうちしたのを真似して猿が自分の首をはねてしまうシーンがあって記憶に残っていたとのこと。(名セリフは、婆「人の真似をすると承知しないよ」猿「人の真似をすると承知しないよ」)
「漫画太郎」大正十二年、宮尾しげを。和田氏は昭和六年発行の百版を戦後に読んだとのこと。代表作の「団子串助漫遊記」が好きだったとのことで、宮尾しげをを戦後でも子供は楽しんで読んでいたんですね。最後に名セリフから「日本の漫画太郎様の腕はこんなものだサアどうだどうだ」、とみなもと太郎先生を褒め讃えてしめくくりとしております。