「戦後日本マンガの大きな眼の祖は、中原淳一と松本かつぢではない」への修正と補足

淳一、かつぢが幼児性を追求していない、ということは変わりないのですが、淳一が描けなくなってしまう前に描いたさし絵の中に、身長が2倍くらいある兄に連れられた妹らしき少女を描いた絵があります。かわいらしい顔ではありますが、絵自体はむしろ痛々しいというべきでしょう。
エントリの中で「かわいいの誕生は戦後に軍隊を放棄したGHQの占領下で育まれた可能性が高い」と書きましたが、戦前から従順を強いる力が及んでいたことはうかがえます。昭和15年の時点で連載を終える前のクルミちゃんは約2頭身位に縮むのですが、戦後の母を求める幼児化した少女とは異なり(クルミちゃんは戦後になると2頭身を切る)、連載当初の「かっこいい」少女から、次第に言葉を奪われた都会の孤独な散歩者として描かれるようになっていきました(当時の少女倶楽部や少女画報をちょっとピックアップして閲覧したところこちらの漫画は戦時翼賛に傾いていました。「少女の友」だけが異質だったのでしょう)。母物のマンガが登場するのは戦後と思われますが(誰か調べてみませんか?)、戦前の小説に母物があったような話を聞いたような気もしており、こちらのほうが盛んに調査研究されていると思いますので、変遷をたどると興味深い結果が見られるのではないでしょうか。

ちなみに戦後マンガの「かっこいい」少女は「リボンの騎士」のサファイアに始まるといってよいでしょうが、男と女、両方の心を持って生まれて来たという設定ゆえであり、このあと「かっこいい」少女主人公がマンガに登場するのは松本かつぢの弟子であった上田としこの「フイチンさん」だろうと思います。今年は上田さんも赤塚さんも亡くなられて本当に打ちのめされておりますが、バカボンのママって上田としこのキャラクターを継承している感じがするんですけどね。
ロマンスを持ち込んだ画期的作品である「リボンの騎士」が少女マンガの革新の直接のブレークスルーにならなかったのは、当時の唯一活躍していた女性作家の長谷川町子さんが戦前に作家として受けた傷をまだ背負っていて(松本かつぢ大城のぼる島田啓三をはじめ戦前からモダンな作風を確立していた作家もまたしかりでしょう)、男女の恋愛ものはやはり少女マンガでは異端であり、手塚さんは「火の鳥」に向かい水野英子さんによるブレイクスルーまではむしろ高橋真琴さんが淳一のスタイルをマンガに消化してシーンを牽引していきます。
それとはまったく違った方向から、終戦後少し間を空けてマンガ家として復帰した、というより戦後しばらくしてから本格的に活動を始めた上田さんの「フイチンさん」が連載を始める頃に若い女性マンガ家が台頭し、例外的にちばてつやさんが当時の少女マンガの定型に上田さんのスタイルを絶妙に取り込むことで男性作家ながら例外的といえるほどに少女読者からの高い人気を維持した、という流れになるのではないでしょうか(舌を出す少女は松本かつぢの戦前の漫画によく出てきます)。