日本近代少女漫画史(戦前編)(lacopen's new note 2006年記事)
明治期 竹久夢二のデビューは雑誌にコマ絵を描くことから始まっているが、中に複数コマ構成(4コマと記憶するが曖昧)の漫画仕立てのものがある(発表年不明)。まだ無名時代か。美人画で人気を博す前のもので少女マンガと関係は特にない。
1919(大正8)年 「少女の友」1月号に川端龍子作「友子の空想旅行双六」が付録につく。振出しから上りまでが物語仕立てとなっており、双六として必然的にコマを使うため、図らずもコミックストリップの形式になっている。しかもコマ数が多く波瀾万丈の展開、コマの不確定性など奇しくも少女マンガ形式と似たレイアウトに共通性が見いだされる。なおこの当時「漫画」という言葉はまだ人口に膾炙しておらず「ポンチ」と呼ばれていた。餅がふくらんで飛行機になり主人公はこれにのって冒険の旅に出て、空中から一転して竜宮城を経て最後にお菓子の島にたどり着く。
1923(大正12)年1月のアサヒグラフ創刊号に「正チャンの冒険」連載開始。9月に関東大震災発生。アサヒグラフ廃刊に伴い朝日新聞朝刊に連載を移す。広く人気を博し、ちなみに正チャン帽は商品化された。子どもが主人公の冒険漫画として、吹き出しの導入など新しい漫画表現を世に知らしめた。
1924(大正13)年に長崎拔天が時事新報に「ひとり娘のひね子さん」を連載開始、翌年まで続く。4コマ形式の作品。途中にはひね子さんが海水浴を楽しみに出かける回などもある。拔天の師匠であった北澤楽天は女権運動を批判したが、拔天の描く主人公は深窓の令嬢らしく控えめに振る舞いながらも楽天の「とんだはね子嬢」のように風刺の対象として描かれている感じではない。
子ども漫画の第一人者だった宮尾しげをは昭和にはいると少女雑誌でも漫画の連載を数多く試みている。ほかに井元水明、麻生豊などの名が見られる。「漫画」の語が流行し、マスコミによる多用などから、やがて定着する。
80年代以降の少女まんがの流れ(lacopen's new note 2006/12/02)
私は80年代にはいってから少女まんが中心に読んできたのですが、実のところ同時代の女性読者が少女まんがをどのように読んできたかよくわかりません。また自分が読んできたのはあまり他の人が話題にしていない範囲を読むように心がけてきましたので、話すための接点もあまり見つかりません。
とはいうものの、この時期の少女まんがについてある程度客観的に見るには一人ではおぼつきません。「乙女」はまだ死語になってはおらず、いまの少女まんがとはずいぶん状況が違っていたのです。
とりあえず私が見てきた少女まんがの流れを少しずつ書いていこうと思います。
ざっと挙げるとこんな感じでしょうか。
-リリカとLaLa、白泉社系のブランド確立
-ぶーけとmimi
-ギャルズコミックDXとニューウェーブ
-別マ:多田かおる〜紡木たく
-りぼん:「ときめきトゥナイト」〜「星の瞳のシルエット」
-コミケと高河ゆんの登場
-宙出版の挑戦:「パレット」、「ミッシー」、「アップルパーティー」
-「月刊セブンティーン」から「YOUNG YOU」へ
-「別マ・デラマまんがスクール」と鈴木光明少女漫画教室の系譜
-A5判雑誌の乱立とネオおとめちっく路線
-レディースコミックの変容:曽根富美子と藤田素子を例に
-児童向けへの模索と挫折:「ぴょんぴょん」から「るんるん」まで
-「週刊少女コミック」とは何だったのか
-「少女フレンド」休刊と一つの時代の終わり
最近は、70年代〜80年代の少女まんがにも戦前の子供漫画からの「輸入」があったのではないか、という関心があるのですが、これは仕掛け人の編集者がいたかどうか、そのような人の証言が出てくるかという期待があるのですが、これを調べるのは相当大変です。本業とのかねあいでそこまで調べることはできないかもしれませんが、自分の体験は順次時間を見つけてここに記していくようにしていこうと思っています。
ニッポンの少女まんがの元祖だヨ!松本かつぢ展 レポート
弥生美術館で開催中の松本かつぢ展(2013年10月3日〜12月24日)については、我ながら本当にしつこくつぶやいていましたが、小林かいち展および竹久夢二と高畠華宵の常設展と合わせてとても見ごたえのある期間となりました。
前回に弥生美術館で松本かつぢ展を開催したのが2006年で、このときに図録兼用で出版された本がすでに見事なものでしたので、これを持っていない人はぜひ読んでみてほしいと思います。
松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)
- 作者: 弥生美術館,内田静枝
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/04/11
- メディア: 単行本
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このすばらしい労作ですらもカバーしきれなかったものに、かつぢの古いマンガ作品などがありましたが、今回の展示では、かつぢのデビュー当初の雑誌の仕事と、昭和4年の『少女画報』での最初のマンガ作品から昭和9年の付録マンガまでも展示に加わりました(『少女画報』は調査済みで本に記録が載っています)。
付録のまんがは、「ぺぺ子とチャー公の夏休み」(昭和8年9月号)、「?(なぞ)のクローバー」(昭和9年4月号)、「ピチ子とチャー公 湖畔の一夏」(昭和9年8月号)がいずれも当時の『少女の友』の野心的とも言える試みとなっています。「?(なぞ)のクローバー」はカラー刷り本編12ページ、本誌の2倍の判型で、マンガとしては4段組を採用して手塚治虫以前に映画的手法を大胆に実験した画期的な作品となりました。「ピチ子とチャー公 湖畔の一夏」は判型が小さく二段組ですが、見開きのわずか3,4コマでアクションを完結させる試みが見事に結実していて、48ページという当時の読み切りでは破格の長さになっています。日本のマンガ史上でもこれらは画期的なものだと断言します。「ぺぺ子とチャー公の夏休み」はジャバラ折りの付録で、これはかつぢがまだ『少女画報』でマンガを描いていた頃の「1931 誌上少画展」(昭和6年4月号)の本誌綴じ込みのジャバラ折りが踏襲されています。展示の中には、かつぢがマンガ家として登場する前の少女雑誌に載った作品も河盛久夫、田河水泡のものが展示されていますが、まだ拙いそれらの作品をかつぢは格段に格段に進歩させました。『少女画報』での最初の連載や、最初のキャラクターであるポクちゃんシリーズも展示では紹介されており、このあたりは現在雑誌連載中の村上もとかのマンガ『フイチン再見!』でも紹介されました。
あとはツイートを集めてみましたので、ご参考にしてください。追記してまとめるかもしれません。
松本かつぢ展、小林かいち展@弥生美術館、松本かつぢと昭和初期の少女雑誌のマンガの紹介はたぶん日本初ですが、隠れた目玉が便箋。ディズニーワールドを超えるかつぢの便箋の仕事が長谷川町子のかつぢ宅訪問となったのでは。そして長谷川町子の便箋が素晴らしい傑作です。もちろんかいちの便箋も。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
松本かつぢ展で全12ページ展示されている「?(なぞ)のクローバー」について、館内に解説がありますが注目のポイントを。1. 作品の途中で人が死ぬことでヒロインの運命が大きく変わる。2. 4段組みですが、見せ場で縦2段ブチ抜きのコマを使った、これが映画的手法と結びついた画期的な事件。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
コマを多様な形に割ること自体は、松本かつぢ以前から、有名なリトル・ニモや宍戸左行の『スピード太郎』など別に珍しくもないわけですが、戦後手塚治虫などによって高度に発達していく長編ストーリーマンガの技法については、松本かつぢのこの作品によって一つの理念型が提示されたといえるでしょう。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
弥生美術館の展示、一つだけこっそり置かれていた長谷川町子の便箋ですが、長谷川町子はこんな動物の可愛い便箋を描いていたのか、と驚くことうけ合いです。これを見た途端に『サザエさん』には『ピチ子とチャー公』へのオマージュ(深い敬意による引用)が含まれていることをもはや疑いませんでした。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
松本かつぢ展では『少女の友』に紹介されたディズニーの本物の作品も展示されているけれど、これが掲載されたのが昭和14年という、すでに雑誌には「非常時」という言葉が登場していた不穏な時期で、松本かつぢや内山基が戦前においてどのようにディズニーを見ていたのか不明だけど、研究を待ちたい。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
もう一つ今つぶやこう。なぞのクローバーの翌年、かつぢは『少女倶楽部』に「なんでもナイ子ちゃん」を連載していた。この年コマは横進行に変わっていた。少女の友からの引き抜きが図られたとも考えられる。この作品は未確認だったが、とにかく講談社で連載していたのが、ずっと隠れていたのである。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
「なんでもナイ子ちゃん」が少女倶楽部に連載された昭和10年、同誌に田河水泡が「窓野雪夫さん」の連載を始めるが、なにしろ青年主人公で全く少女漫画でなく、後に戦争翼賛の色が悪く出てしまった。かつぢに少女倶楽部は居心地が悪かったろう。長谷川町子の「仲よし手帖」はかつぢを継いだだろう。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
弥生美術館の松本かつぢ展、今日はしつこくつぶやきましたが、映画的手法とコマ表現で手塚治虫に10年先んじたストーリーマンガ「?(なぞ)のクローバー」と、長谷川町子が戦前に松本かつぢを訪問して紹介してもらったと思わしき便箋の仕事の展示は、歴史的価値からも、とにかく必見だと思います。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
松本かつぢ展でわからなかったこともついでにメモ。雑誌付録マンガの総ページ数。『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』はクライマックス場面のコマに33ページとあるけど36ページだろうか。『ペペ子とチャー公の夏休み』はジャバラ折りで12ページ分公開展示ながら一部分。裏にもページがあるか。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 13
松本かつぢ展には、弟子の上田としこ先生のフイチンさんの原画なども展示されていて、一昨日には「フイチン再見」の村上もとか先生が来訪されていた。 pic.twitter.com/bEXLvXItz3
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 14
フイチン再見でも紹介された、松本かつぢの最初のマンガシリーズ「ポクちゃん」がはじめて登場する「支那手品」(昭和5年1月)。このマンガにはコマ枠がありません。松本かつぢの確認されている最初のマンガはスケートのマンガでやはりコマがなく、ページ全体が白いスケートリンクのようです。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 14
かつぢが描いたコマ枠のないマンガでは、一人の登場キャラがスケートをしたり演技をしているさまを描いているので、コマの枠というのが邪魔だったと考えられます。マンガ表現の実験をいろいろ試みた、才能あふれる作家だというのが伝わってきます。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 14
「ニッポンの少女まんがの元祖だヨ!松本かつぢ展 覚え書き」をトゥギャりました。 http://t.co/AcZVa1Od5z
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 14
くるくるクルミちゃんの発音は、通常巷で語られるときは、最初の「く」を高くして「くるくる」と下降し「クルミちゃん」でまた上昇していく感じだが、どうも、かつぢはそんな発音をしていなかったらしい。なんと、「くるくる」と上昇して、「ク」がピーク、「クルミちゃん」とまっすぐ下降するのだ。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 19
つまり、「くるくる」の上昇する感じは、「くるくるパー」と発音する時の感じなのだった。巷では「クルミちゃん」と略するから「くるくる」を接頭語に収めようとして下降してしまう。つまり「クルミちゃん」だけでキャラクターでなのはなかった。「くるくるクルミちゃん」と全部一緒に言うのであった。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 19
松本かつぢは戦前にふきだしを基本的に使わなかったが、ちゃんと漫画作品として完成していることに注意。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 19
戦前の漫画と関係があるといえば、文芸における新興藝術派の存在が大きいような気がします。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 19
@lacopen 「松本かつぢという画家をご存知でしょうか。「少女の友」誌で中原淳一と人気を二分するなど、戦前戦後を通して活躍した彼が若き日に発表した幻の漫画『?のクローバー』を、小誌で初復刻しました。」再録が出るのか…
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 10月 29
戦前少女雑誌のマンガ「?(なぞ)のクローバー」が再録掲載されている「紡」を入手できた。ディズニーを知り尽くしていた作家の、手塚治虫との距離は、戦争による切断がもちろん大きいけれど、活動弁士のような語りがリアリズムとの距離を感じさせる。まだ本格的には内語が導入されていない。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 2
「紡」に載っていた記事によると、少女の友昭和9年8月号付録「ピチ子とチャー公 湖畔の一夏」は48ページの読み切り長編。夏目さんが紹介した図版で、見開きのたった4コマで紙上でピチ子が華麗にアニメーションしている、漫画家としてのかつぢの絶頂期の傑出している仕事の一つ。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 2
夏目さんが初めてなぞのクローバーを見て驚いたのは、パースがあり、画面上での流れるような巧みな視線誘導がある奥行きのある構図の使用と、マンガのキャラクターに関節がちゃんとあることだった。人間の運動をする身体が描かれていたこと。田河水泡はなぜ奥行きを使わなかったか、研究が待たれる。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 2
いいかげんつぶやきすぎではありますが、私が幼い頃には松本かつぢのベビー用品は定番で、弥生美術館の今回の展示でも、晩年のほうでは本物のベビーバスの展示もされています。抒情画関連では会期中の小林かいちや、弥生から場所はけっこう離れてますが加藤まさをの展示もたいへん充実しておりました。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 2
松本かつぢ「?(なぞ)のクローバー」(昭和9年)復刻掲載の「紡」冬号より。3ページ目(左下)三段目からコマの割りかたが3コマ不均等割りに変化する。 pic.twitter.com/wlR6w7W0re
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 6
松本かつぢ「?(なぞ)のクローバー」(昭和9年)復刻掲載の「紡」冬号より。4ページ目。夜と朝の場面転換のコマがある。 pic.twitter.com/HUjvRAvyBH
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 6
松本かつぢ「?(なぞ)のクローバー」(昭和9年)復刻掲載の「紡」冬号より。6ページ目、7ページ目に2段ぶち抜きのコマが現れる。ここが夏目さんが弥生美術館で発見して驚いたもの。いや私も現場にいて驚きました。全体は「紡」をご覧ください。 pic.twitter.com/vVgpykFOel
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 6
夏目房之介の「で?」 2013.11.2 弥生美術館「松本かつぢ展」特別講演 「かつぢマンガの驚き」レジュメ
http://t.co/CABbDqTZad
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 6
This exhibition traces the rise of girls’ manga in the early Showa era with examples of Katsuji Matsumoto’s comics http://t.co/hRg1Ue2nti
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 7
かつぢの物語マンガは当時の少女読者が感情移入するものではないエンターテイメントだったから、後々に語られたのはやはり一コマものになるんだろう。いや今回の展示には入らなかった学園ものの短編があるけど…
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 7
「紡」vol.10 内容紹介より:書店で発売中
■松本かつぢという画家をご存知でしょうか。「少女の友」誌で中原淳一と人気を二分するなど、戦前戦後を通して活躍した彼が若き日に発表した幻の漫画『?のクローバー』を、小誌で初復刻しました。…お楽しみいただければ幸いです。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 9
「少女の友」誌で中原淳一と人気を二分し、戦前戦後を通して活躍した松本かつぢが昭和九年に発表した幻の漫画『?のクローバー』が、「紡」vol.10誌で初復刻されましたが、マンガ史的に貴重な本作を全編見られるのは今回が初めて。白黒掲載ですがカラーは弥生美術館の展示で是非ご覧ください。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 9
松本かつぢのマンガ作品の展示はマンガ館で一度やるべき。ストーリーものと一コマものがあるけれど、今回の弥生美術館の展示では一コマは端折られているので、それを加えてかつぢ以外の同時代の漫画家まで含めればかなり充実した展示になる。横山隆一まんが館あたりでやると面白そうなんだけど。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 10
なぞのクローバーは菊版の二倍だから本誌に比べて随分大きいけれど、当時の本屋ではどうやって売っていたんだろう。少年倶楽部の組み立て付録も元は大きかったんだろうけど。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 11
『ペペ子とチャー公の夏休み』では水着姿で登場したピチ子は『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』を出す前に下着姿で登場している回がある。颯爽とシュミーズでエロではありませんが、昭和九年はいろいろ冒険をしている。マンガでバスケットボールのシーンを描いた『ミミーのスクールライフは昭和十三年。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 15
新青年に紹介されていた海外漫画は松本かつぢは間違いなく取り入れてだろうけど、取り入れているものの引き出しは相当あって、幅広くかき分けも含めて自分のスタイルにしていた感じがある。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 16
再掲:松本かつぢ「?(なぞ)のクローバー」昭和9年『少女の友』掲載。手塚治虫より早く映画的技法をマンガに展開した作品。松本かつぢ展は弥生美術館にて開催中。また、発売中の雑誌「紡」vol.10にモノクロ縮小版で復刻が掲載されています。 http://t.co/wDBjNMIGt4
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 23
『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』で、川を流されている女の子をピチ子が木に登って助けるシーンの見開き2ページ3コマはこんなふうに無駄がない。俯瞰で左上から右下に川が流れていて、木に登って女の子を待ち構え、木の枝に足をかけてつかまえる。 pic.twitter.com/TEPifhoYVs
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 8
時々宣伝) 弥生美術館でニッポンの少女まんがの元祖だヨ!松本かつぢ展開催中。展示品よりマンガ「なぞのクローバー」昭和九年『少女の友』付録、本編12ページ(インターネットミュージアム http://t.co/AJdAq9KOYZ より) pic.twitter.com/l8zXvrrngE
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 11
すでに5年が経ってしまったが、日本マンガ学会の『マンガ研究』に掲載された松本かつぢのマンガの調査結果の発表より、昭和4年に発表された最初期の作品。 pic.twitter.com/SX6vumswVN
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 13
同じく『マンガ研究』に掲載された松本かつぢのマンガの発表より、昭和13年に発表された16ページの学園もの。バスケットボールで体ごとダンクシュートを決めている。わずか4コマで試合が完了していて、コマ間の省略表現は完成されている。 pic.twitter.com/PL5qbFxosz
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 13
夏目房之介講演会の報告が、弥生美術館・竹久夢二美術館のブログに掲載されています。松本かつぢの「?なぞのクローバー」のコマ構成の視線誘導がどれだけ画期的なものかを読み解いたもので必見。今日は小林かいちギャラリートーク。 http://t.co/kRSp2vnNhZ
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 15
夏目房之介さんが読み解く松本かつぢの「?なぞのクローバー」(昭和9年)の見事に計算されたコマ構成より。弥生美術館・竹久夢二美術館ブログ http://t.co/kRSp2vnNhZ pic.twitter.com/rCN2FkIlQl
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 15
.@lacopen 「?(なぞ)のクローバー」の革新性の中でもでやはり一番すごいと思うこのページ画面は、振り子型と回転らせん型の組み合わせでコマ割りと画面の構成の結合が成されていて、これだけすごいコマ構成は戦後のマンガにもめったに見られない。夏目さんは的確にこれを分析している。
— LACOPEN (@lacopen) December 15, 2013
Katsuji Matsumoto's awesome manga works "? Riddle's Clover" 1934 is exhibited in Yayoi Museum http://t.co/kRSp2vnNhZ pic.twitter.com/rCN2FkIlQl
— LACOPEN (@lacopen) December 15, 2013
『かぐや姫の物語』感想一週間目
Twitterのツイートを使ってできるだけ楽にブログをまとめる練習の一回目は、『かぐや姫の物語』の感想から。iPadのSafariで、今日はツイートからの編集が面倒臭いのでベタ貼り。はてなブログの編集画面は入力変換周りでバグがありますね。
疲れ気味でしたが、かぐや姫の物語も前売り券買っていたので滑り込んで見てきました。セルアニメで人物と背景を二つの層ではなくできる限り同じタッチに融合するというねらいがはっきり表現されていました。高畑さんらしい作品だし、ジブリらしさもヒロインの声など、よく表れていたと思います。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 24
CGをこれ見よがしに使うアニメは印象良くないと思う古い人間ですが、CGも使いまくっているんでしょうね。
「かぐや姫の物語」とにかく見終わってあとから思い出してみると、脚本から演出の部分で、「風立ちぬ」と相似のところがけっこうあるかも。比べてみると面白そう。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 24
現実と夢が混ざるところですね。
かぐや姫、絵柄のメタモルフォーゼは見て気になっていたところだったけど、すでに過去の作品で試していたのか。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 26
これはぽんぽこだったか、RT確認できないとわからない。
ユリイカの特集「かぐや姫の物語」とりあえずざっと流して読んでみたが、土居伸彰、中田健太郎と続く気鋭の論考が、他のように単なる絵解き謎解きの手つきに終始せずに高畑勲の提示する作品世界に呼応して深く分け入らんとする本誌の白眉であろう。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 27
物語と表現手法の両方に深く分け入る批評ってあまり自分自身がやっていないかもと反省させられました。先日機会を得て『火垂るの墓』を真面目に見ていまさら高畑勲を発見した感に忸怩たる思いもありました。かぐや姫を見たあとで放映された『おもひでぽろぽろ』が、見たのは途中からでしたがまた妙に感心しました。
たしかに、かぐや姫もだけど、おもひでぽろぽろのような作品をアニメ化するというだけで志が高い感じがする。高畑勲のこだわりなのだろうか。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 11月 30
おもひでぽろぽろの原作は青林堂から単行本が出ましたが、きちんと読み終えていません。アニメ化が難しいとは言われるかもしれませんね。ここでブログ編集枠の限界が出て書き足せなくなりました。
高畑監督は長回しをよく使っているんだな。いや大したものです。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 1
「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」を横綱対決のように比べて見たときにどちらに軍配をあげるかといえば、いまの自分ならばかぐや姫なんだろうなと思う。何度でも観直したいのでディスクが出たら買う。
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 3
ブログ再開
ブログ再開/日本のマンガは世界的に流通しているさまざまな漫画表現のなかでは明らかに独自性と特異性を持ってはいるのです。それは、私は何度でも強調したいのですが、日本のマンガが十分に「異文化」であることにほかなりません。 http://t.co/LAfsROBbIB
— LACOPEN (@lacopen) 2013, 12月 3
「オタク」が登場する前夜の記憶-1
大学に入学した頃はロリコンマンガ雑誌が登場して間もなく、先駆けとなる「レモンピープル」やその二番煎じとなる雑誌が現れ、毎月講読する人が漫研仲間には何人かいました。当時はいわゆる三流劇画とロリータ美少女の橋渡しをする、村祖俊一やダーティー松本、中島史雄、内山亜紀なども好まれていました。なお、私たちの世代は少年期からなぜかポルノ扱いではない未成年少女のヌード写真集を書店で見ることが多かったのではないかと思われます。これは永井豪や吾妻ひでおの少年誌時代の空気に重なっているかもしれませんし、それはただの私の思いつきにすぎないかもしれません。
いわゆる美少女雑誌の読者が当時他に少年雑誌、少女雑誌の中で何を読んでいたかはわかりません。しかし以前から、24年組に代表されるブームによって、私でも堂々と少女マンガを読める時代になっていました。一般的には少年誌の他にヤングがつく青年誌や「めぞん一刻」などが載る若者向けのスピリッツなどがよく読まれていたように思われます。
ロリータ美少女系はコミックマーケットに居場所が得られ、愛好者で同人誌に描く者も多くなり、ビニール本の『少女アリス』を出していたアリス出版が漫研に訪れて、マンガを描かないかと持ちかけられて女性を含み数人が描いたことがあります。
同年代で、90年代のはじめにヤングユーを読んでいた人はオタクと呼ばれる特定の層を超えて男性にもかなり多く、話してみると知世ちゃんという女の子が主役のPapa told meの愛読者がとても多かったのには驚いた記憶があります。
ロリコン、ショタコンは確かにある意味で恋愛についてのコンプレックスの表明ではあったでしょう、これはブラコン、シスコンと同様に、性向についての告白という面があって、それによって話の合う同好の士を見つけられる側面はあったと思われます。オタクは自称されるよりも、仲間内でオタクと認定されること(無駄に役に立たない知識が多いという意味合いはあったと思われる)から広まったというのが私の経験から思い浮かぶ印象です。
オタクが広く使われるより前に、現実の女性よりもマンガに描かれた女の子に恋心を感じるという、二次コン(二次元コンプレックス)を自称する知り合いがいました。マンガの中のキャラクターに恋することを自嘲しつつも、周囲にはそれを共有する同じような仲間がいる、という感じです。この言葉はオタクよりもっと古くから使われていたと記憶しています。