メビウスとあすなひろしの同時代性

先週はマンガ学会の大会を見に行ったり昭和文学会の文学館の未来を考えるシンポジウムを聴きに行ったりしたのですが、体調は絶不調でブログに駄文すら書く気力がありませんでした。
今週も家でゴロゴロしていたのですが、マイケル・ジャクソンの急死という事件があってここ最近栗本薫氏や三沢光晴氏の訃報が相次いでいたこともあり年齢の近い人が亡くなると自分の人生についても考えてしまうのですがそれはとりあえず棚に上げてキヨシローとマイケルをつなげてみたりしておりました。これは私としては何も考えずとも即座につながる、というのは、忌野清志郎さんの追悼のエントリでIan Dury and the Blockheadsを採り上げましたが、Blockheadsのメンバーで作曲に深くかかわったChas Jankelが作った「愛のコリーダ」をQuincy Jonesが採り上げてスマッシュヒットを飛ばしており、Michael Jacksonの人生を変えてしまったモンスター・アルバムThrillerはまさにクインシーのプロデュースであった、というわけで、私自身はマイケル・ジャクソンの最高作はクインシー・ジョーンズを迎えた第一作の名盤Off The Wallしかないだろうとかずっと思っていますが、「オフ・ザ・ウォール」から「スリラー」の間にポップスのあり方が大きく変わってしまったのかもしれないことをむしろ興味深く感じています。

オフ・ザ・ウォール

オフ・ザ・ウォール

そこで本題に入ろうと思うのですが、ユリイカの最新号がメビウスの特集を採り上げていて、日本のBD研究では日本におけるメビウスの受容は谷口ジロー氏が1974年に『Graphis』という雑誌の外国マンガ特集号を読んだことに始まるということでコンセンサスがとれているらしいことがわかったのですが、それを同じ号の中でのっけから覆すことが、小野耕世氏のメビウス来日に合わせて書かれた記事にあって、バロン吉元氏に小野氏が聞いた話によれば、バロン氏は1972年か73年にジャン・ジロー名義の西部劇BD『ブルーベリー』の英語版の単行本をアメリカで買っていて、フランス語版もヨーロッパで入手しており、メビウスというよりジャン・ジローの影響は『柔侠伝』以降の作品には反映されているそうです。
メビウスが西部劇のシリーズを描いていたことは私は今年のメビウス氏の来日で初めて知ったことで、日本のメビウス受容はジャン・ジローという作家の受容とメビウスの名で名声を得てからの受容とに分かれており、その前者のほうは一般のマンガ読者には知られることなく今日に至ったことがわかりました。この『ブルーベリー』のシリーズは1963年に『ピロット』という雑誌で連載が始まっているとバイオグラフィーにも書かれていて、1965年から単行本が出版されるようになったようですが、それでは日本で西部劇マンガを描いているマンガ家がいるだろうかと考えると、私はバロン吉元氏が描いた西部劇の作品を知らないので、私の知る限りで日本的な劇画の画風を超えたバタ臭い画風で西部劇を描いた作家として知っているのは、あすなひろし氏ということになります。
私がマンガ研究ブログを描くようになったのはあすなひろし氏の急逝がきっかけでしたが、たまたまユリイカに載っている『ブルーベリー』の図版を見たときに、谷口ジローが受け継いでいる絵柄のほかに、なんとなくあすなひろしに似ているところがあると感じて思わず驚きました。あすなひろしの描線はかなり独特で、バロン吉元氏が筆を使うようになったのと合わせて日本マンガの描線の系譜を一度誰かがたどってみると興味深い結果が出てきそうな気がしてきましたが、戦後の日本マンガが海外マンガからどのように影響を受けてきたのかということも実は解明すべき謎に満ちていることを改めて感じさせてくれました。

メビウスとは直接関係ないのですが、かつてブロンズ社から出されたあすなひろし作品集に収録されていた名作「秒速三〇〇〇〇〇キロ」のラストシーンをちょっと見たくなりました。あのコマ全体が閃光に包まれた名場面をどのような技巧で描いたのかいまちょっとよく思い出せないのです。Amazonでは主婦の友社のロマンコミックのほうが入っているようでこちらは少女漫画集だったかな、これはメビウスからはかなり離れそうですが(ひょっとするとある意味では近づいているかもしれない)悪くないのでいちおう載せておいてみましょう。