村山知義「三匹の小熊さん」から堀内誠一展へ

大正後期から戦後まで前衛芸術家、プロレタリア運動家などの顔を持ち芸術全般から商業美術、文学まで幅広いジャンルで活動して昭和前期には日本のダヴィンチとよばれた村山知義が、昭和6年に子ども向けに作ったアニメーション「三匹の小熊さん」の限定出版DVDを手に入れた時に、この『子供の友』に連載された原作を堀内誠一氏が急逝される前年に絵本にまとめて出版したのを知ったのがきっかけで、世田谷文学館堀内誠一展を見に行ったら開催初日でした。

堀内誠一という名前はなんとなく見たことがあるけれどどんな人だったか思い出せないという人は結構いるのではないでしょうか。私がまさにそれで、よく本か雑誌で名前を
見ているような気がするけれどという程度の認識でいたのですが、福音館書店を中心に数多くの絵本を出しているだけでなく装丁やデザインも担当して、それともう一つはマガジンハウスの雑誌のアートディレクションを担当して日本人にとっては雑誌デザインで非常になじみ深い作家なのですが、その名前を覚えるとすれば「アン・アン」でエッセイを書いていたことでファンになった人だろうと思います。
堀内誠一氏の父親は多田北烏の弟子として図案家であり、誠一氏は幼少のころから昭和初期の児童雑誌をコドモノクニから幼年倶楽部に至るまでくまなく読める環境に育ったようで、今回の展示に5歳頃から小学校の頃に描いた漫画や落書きがありましたが、長新太杉浦茂を彷彿させるものがあって奇妙な感動を覚え、もし漫画家を目指していたらどんな作家になったかかと思いました。
アートディレクターとしての名声に加え、絵本作家としても多数の作品を残し、戦後出版史における偉人でありますが、たとえば絵本を描く場合でも作品ごとに絵柄を変えてしまうなど全貌がつかみにくく、その活躍ぶりが一般に広く知られているわけでもないので、今回の展示はたいへん興味深く見ることができました。うまく文章にできないのがもどかしいですが、ある種天才としか言いようのない活躍をしており、それはあくなき好奇心や多種多様な人との交流から生まれたのでしょう。ぜひ展示を見てほしいと思います。

11日に巌谷國士(いわやくにお)氏の講演があるので再び世田谷文学館へ向かいました。イベントに来た方の九割方が女性でした。少女漫画に言及した時期もあってそちら方面でも結構知られているかと思いますが(萩尾望都さんとは何度も対談しているような気がします)、そういえば巌谷小波は祖父にあたるんですね。それとは関係なく講演内容は絵本作家やデザイナーとしての堀内氏という面ではなくて澁澤龍彦堀内誠一の間で交わされた手紙(堀内氏のほうが文章も細かい字でとにかく紙を埋めるように書きまくっており絵も文章を書くのとまったく区別なくたくさん描いていますが)をもとに今回の企画展のタイトルにもキーワードとして含められている「旅人」としての堀内誠一を語る内容になりました。なぜ旅なのかは展示をお楽しみに。

旅の仲間 澁澤龍彦・堀内誠一往復書簡

旅の仲間 澁澤龍彦・堀内誠一往復書簡