少女まんが史の再構築は

ここわずか数ヶ月の間に松本かつぢの発掘と、高橋真琴の復刻とそれに伴う調査研究の進展という出来事が続いたことにより、少女まんがを組み込んだマンガ史の再構築の試みに思いを馳せるようになってきたが、身体がついてこないのである。
放っておいても進むとは思うのだけど、ひそかに目標にはしていたことではある。
奇妙なストレスが働いているようにも思う。記事としてもなかなかコンパクトにまとまらない。

松本かつぢの作品発掘は、「フイチンさん」の上田としこと少女イラストの草分けの田村セツコの師匠にあたるこの特別な抒情画家の謎を解き明かすもので、また戦前にアニメーションの制作にもかかわっていたことまで明らかにされた。作品は消失したらしいが、かつぢの戦前の西洋の風景画、特にお城の絵などは宮崎アニメを思い起こさせるところがある。

松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)

松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)


つぎに高橋真琴の復刻では、こちらも発表年の情報まで含めることができなかったようだが、おそらく昭和31年から32年にかけての貸本作品で、手塚マンガとは異なる手法も用いて少女まんがのコマ構成と絵物語のレイアウトの関係に示唆を与えるものである。
しかも「さくら並木」のほうは設定がそのまま「エースをねらえ」の序盤みたいなもので高橋真琴の典型的なイメージを超えている。貸本マンガだから描けたようなところもあって驚かされる。

完全復刻版 パリ‐東京・さくら並木

完全復刻版 パリ‐東京・さくら並木

ここで足りないピースがどこにあるか、と考えてみる。

松本かつぢは抒情漫画としてこの後、クルミちゃん以前に「ピチ子とチャー公」を連載していること、また初期漫画作品では片目の省略を用いている。片目の省略は70年代の少女まんがでよく用いられていたのではなかったろうか?

かつぢのデビュー初期の絵は蕗谷虹児に近いが、虹児は渡仏して藤田嗣治東郷青児と交流を持つほどの人気作家であった。かつぢが抒情画を選んだ理由も最初は渡仏が目標だったらしい。日本にとってフランスとはどういう国か、というと、美術と文学のイメージだろう。アメリカが現代美術の中心になるのは抽象表現主義以降なので、かつぢはアメリカの漫画文化を採り入れて自分の作風を作り上げていったと予想される。フランスへのこだわりは高橋真琴にとっても相当大きいものである。

80年代半ばに紡木たくがブレイクして連載を始める頃の雑誌記事で、フランス映画のようなまんがを描きたいと言っていたことが思い出される。私はこの作家が筆を折った後に書いたとおぼしき、瞳に星らしきものがしっかり描かれていた少女を描いた色紙を目撃しているが、この時期のフランスとは誤解の産物にも思われる一方で、当時の自分も図書館で読める本で難解なブランショなどに興味を持っていたことを思い出した。それはもちろんカフカが一番の感心だったせいなのだけど、「遊」と「エピステーメー」という雑誌があって、植草甚一の本なども読んでいて、いわゆるニューアカブームとは微妙にズレがある。私が見た80年代は世間で言われているのと多少違っているところがあって、懐かしいのもそういう語られていないマイナーな裏の面である。もちろん美化したい面があるのは否めないが、一億総中流など見せかけで、しょせん親に車を買い与えられていた金持ちのボンボンと違うという一種の下流意識があった。それがおかしくなっていくのは社会人になる90年代である。


高橋真琴の初期作風はたとえば交流のあった後のちばてつやあたりに受け継がれた面があるかもしれない。
ちばてつやは少女まんがを描くためにかなり研究をして吉屋信子を読破したりしたそうなので、高橋真琴だけでなく、日向房子や田村節子などの初期イラストレーターの草分けとなる作家からもインスピレーションを得ているかもしれない。はつらつとした少女像はかつぢから当時最新のさし絵作家へと受け継がれていた。

蕗谷虹児の細密なペン画はかつぢからあすなひろしまで影響力を持っていないだろうか。戦後さし絵画家の系譜では日向房子が忘れ去られているが、スタイル絵の流行を考えるときに、かつぢから始まるユーモア小説のさし絵の系譜をとらえておくべきではないかと予想する。

大人の塗り絵画集 松本かつぢの世界

大人の塗り絵画集 松本かつぢの世界

「少女」の名編集長と呼ばれた黒崎勇氏が「女性自身」創刊で女性週刊誌の編集を務めるのが昭和33年12月であるようだ。黒崎氏は祥伝社の社長までつとめているが、戦前の「少女の友」の内山基氏も付録に凝って中原淳一松本かつぢは企画デザインまで担当していたというように、高橋真琴も「少女」というかなり意欲的な誌面づくりをしていた雑誌だからこそ作風の革新を行えたのではないかと思われてくる。すると手塚の「リボンの騎士」ではない少女向け作品群にももう一度目を向けてみる必要があるかもしれない。

足りないピースの中であと気になるのは、大城のぼるの戦後作品で、「少女白菊」が知られているが、手塚まんがとはまるで異なる展開をして昭和31年頃に漫画家としての活動をやめてしまう。緻密で写実的な絵でナレーションが詰まった絵物語的な作品が末期に存在している。「少女白菊」は未見。

高橋真琴の「さくら並木」もナレーションの比重が高いが、モノローグではなく作家の語りとされているところが後の少女まんがとは明らかに異なっている。

とりあえず複雑な絡みを解きほぐすために一息入れたほうがよさそうだ。