戦前の池袋より

はてなで書きはじめてから思わぬ出会いが増えるようになった。
池袋モンパルナスということばを知ったのがほんの最近だったのにそれから数日後に本を見つけた。

池袋モンパルナスそぞろ歩き 〈池袋モンパルナス〉の童画家たち

池袋モンパルナスそぞろ歩き 〈池袋モンパルナス〉の童画家たち

64ページの小冊子で、あまりにも薄いので本当に偶然見つけたものだったが、その中に名前を知る限りで竹久夢二から蕗谷虹児武井武雄、初山 滋、岡本帰一、村山知義、深沢省三、柳瀬正夢滝平二郎小熊秀雄とぞろぞろ名前が出てくる。

池袋モンパルナスについては松岡正剛氏の千夜一夜のページに詳しい。小熊秀雄が名づけたのだろうか。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1004.html

昔話しかしない父親だが近ごろ子供の頃を語ることがまた増えた。神戸に生まれ育った父が戦前幼い頃東京に来る機会があって、池袋のあたりはまだ野原だったという。西武電車の終点は豊島園だったという。阪急電車の終点は宝塚。父は豊島園でウォーターシュートに乗ったのが鮮明に記憶に残っているという。
ウォーターシュートが日本に来たのがいつかはGoogleで[ウォーターシュート 博覧会]と入れて検索すればたちどころにわかるが、明治36年の大阪の博覧会で登場、明治40年の東京の博覧会では不忍池に設置されたと何かの本に書かれていたのだが忘れてしまった。ネットで見た限りでは豊島園に常設されたのが昭和に入ってからのようだ。

関東大震災の後だろうか、大阪が日本最大の都市だった時期があることは知っていたが、ざっとググって大正末年から昭和七年頃まで続いたようだ。六大都市として神戸は人口で三番目、京都、名古屋、横浜という順だったのでかなりの都会ではあったので、どうやら昭和六年生まれの父も都会っ子の意識があるようだ。父によれば大東亜戦争が始まってから(つまり昭和16年12月の日米開戦。戦前の日本では大東亜戦争と呼称していた)東京に一極集中が進んで大阪も神戸もみるみるうちに「没落」したという(東京の状況がどうかはわからないが)。