ご無沙汰しています

前に書いたのが3月の初めで気付いたらもう4月ですか。
3月の中旬に大学時代の漫研のOB有志数名で不定期に趣味的に開催している休日講座の講師をするために、資料を整理したりまだ頭の中にしかないものを書き出したりしていたら日記の更新をする余裕がなくなって、終わった後もちょっと自分の蔵書の整理と基本データの抽出をしようと思うようになって、そうしてみると書く暇が無くなったというか、いままで書いてきたのは現実逃避だったのかとか思うようになってきました。自分なりに構想していたマンガ論が短期間でかなり前に進んだ感じがするので、ちょっとそちらの方に力を入れたいなあと思います。ただ前進したといってもほとんどが仮説で検証するのがものすごく大変というかかなり本を読まないといけないし、あと先行研究で紀要などに載っているのと激しくかぶるんじゃないかという感じもするので、その辺も確認しないといけないし、ちょっと苦しいかも。これまで出ているマンガ表現論がどうしても手塚と真っ向勝負になるところをわざと迂回して少女マンガ方面からたどってみることで隣接領域との関連にもっと目を向けた形で日本マンガの表現史を書いてみたいという気分なんですが、なかなか出ないでみんな待っている宮本論文ときっとかなりの部分がかぶるんじゃないかと思われますし、仮説として現時点でもストーリーは描けるのだけど検証まできちんとやろうとしたら相当かかってしまいそうな代物になっています。
さきに述べた有志の集まりで大枠を語ってみたのですが(レジュメが完成しなかったのでアドリブ)、マンガをテーマにした発表なんてこれまでなくてだいたい自分の仕事とからむトピックの紹介だったりしたのですが、皆それなりに名うてのマンガ読みで、しかもアール・ヌーボーアール・デコ、草双紙や日本の近代文学に関して、大学で学んだり職場で仕事の絡みでプロとして知っている人も参加しているところでマンガ論を披露するというのはけっこう無謀なものなので、準備は大変でした。とりあえず大城のぼるの「愉快な鉄工所」とクリス・ウェアの「ジミー・コリガン」を持参して、そのへんの実物を持っていって解説したのが好評だったので助かりましたが。
少女マンガに限りませんが、マンガはやはり時代によってファッションと同様にモードの変遷があるので、たとえば研究のための基礎データの抽出をしようと思うと、そのへんのおおまかな知識を知っておかないと難しいなと最近とみに感じております。なんとなく一応は知っているつもりなんですけど。

ゲーム業界でゲームを作っていてちゃんと現役でまんがを読んでいる、私にとっては師匠とも言える先輩に、「よつばと!」読んでないの、だめじゃん、といわれてしまいましたが、あずまんが大王を全巻買ったもののまだ積ん読なんですよ。大学の頃伊藤重夫(もし彼を知らなかったらもぐりですよ!湊谷夢吉は知っていますよね)を紹介してもらって以来読み手としてはもう信頼しているのですが「のだめカンタービレ」、「ラブ・コン」、いくえみ綾の最近作はいいということで、この辺は私の趣味に合わせてくれたっぽいですけど(ところがまだ「のだめ」読んでないんですよね)、あと石子順(順造ではない)がつげ忠男の大ファンで「夜行」(「跋沙羅」?「さ」の字が怪しい)に文章を書いていて(私は全然覚えていない)何を書いてもつげ忠男と比較してひどい評論だったとか昔話に花が咲きました。
もう一人の発表が司馬遼太郎がテーマで、これも小説家としての彼の特異性(ライトノベルの元祖的な見方)とか、歴史小説家は小説家としては例外的に仲間で群れないとか、やはり参加者はみんな詳しいので司馬にのめり込めなかった私にとってもめちゃめちゃ面白い話になりました。