戦前子ども漫画での滑稽な死

戦前の少女雑誌を調べているうちに、少年雑誌の漫画にもけっこう抜けがあることがわかってきた(宮本さんなどが調べているかもしれないが)。
博文館の『少年少女譚海』は大正末から昭和初めにかけて博文館の雑誌がいよいよ落ち目という時期に漫画を載せるようになった。
少年少女と称されてはいるが少女向けの漫画は見あたらない。読み物も少女向けとは言い難いものではないか。
もっと由緒ある『少年世界』、『少女世界』については未調査だが、『少年少女譚海』には後に名を残している漫画家もけっこう描いている。
活劇指向のためいわゆる戦争を描いたのも早かった。
昭和6年12月号に「滑稽奉天城攻撃」という一コマの大作を見つけた。大作というのは折り込みで幅が3ページ分あるものである。ちなみに幅3ページの大きさの作品は『少女画報』ですでに試みられていた。この時期は少女雑誌の方が進んでいたとさえ言える。
作者は新関青花だが、残念ながら戦前に描かれた戦意高揚タイプの漫画の中で最悪の作品の一つになってしまった。題名に奉天の名があるようにこれは満州事変勃発の時に描かれ、ウィキペディアの記載によれば10月には関東軍の爆撃機が錦州を空襲している。
逃げまどう中国兵を追い詰めていく日本兵がみなニコニコ笑っているのがあまりにも異様。そして左側に大きく城に向かって突っ込んでいく飛行機が描かれた構図は見事といわざるを得ない。右下側の城に向かって日の丸をつけた戦闘機が左上から突っ込んできて機銃掃射し、射的となった城壁を逃げまどう中国兵は撃たれて吹っ飛んでいるのだが、これが当時の少年向け漫画で多用された首が胴体からすっぱりと切断されるという描かれ方をされている。つまりそこで殺される兵の死に方は定形化されており、あくまでも滑稽なものとして描かれているとは言えるだろう。
しかしながら、首が胴体から切り離された兵の首が自然に胴体にくっついて元に戻るというような描かれ方は決してされていない。ある首のなくなった胴体はそのまま城壁から塀の内側へと落下しつつあり、その首がどこにいったのかはちょっと見ただけでは判然としない。ここに描かれているのはまさに悲惨な戦場だが、おそらく百人弱の人が入り乱れる敵味方の兵たちのほかに豚が十数頭も描かれ、滑稽な「おもしろい」漫画にしようとさまざまに工夫を凝らしている。そこに見られるのはむしろ作者の無邪気さである。
新関は後に動物を擬人化した作品など児童向けの穏健な作風へと変化していき、戦後も児童向け作品で親しまれた。大城のぼるのような戦前の洗練された作家も初期作品では首が飛ぶ残酷描写を描いていたが、戦場をずばり描いた作品は寡聞にして知らない。新関の「滑稽奉天城攻撃」のような漫画は『少年少女譚海』のような雑誌の何でもあり的方針で描かれたとは言えるかもしれない。