追記

書き加えておかないとならないと思ったのですが、僕はけっこう真崎守とか永島慎二とか好きだったクチで、なによりも矢代まさこさんが弟が購読していた学習雑誌で睦月とみ名義で描いていたものから好きだった、ということもあって、岡田さんの一連の作品についてもとにかく必読と言うことで早くから読んでいて先入観なくこの世界はすごい、と思っていたんですね。大島弓子さんを読むのはかなり後のことで、やはり萩尾さんの作品とかと同じくらいに読んでいました。マンガ家になりたかった頃、とにかく既成のマンガとは違うものを作らなくてはいけない、と意気込んでいたもので、それがちょっと考えが変わってくるのが80年代になってみんながマンガがつまらなくなったと言い始めたことで、本当につまらなくなったのかと思っていろいろと雑誌を読むようになってからです。
これはすばらしい、と思った作家が全く話題にも上らなかったり、ということが幾度もあって、マンガ史をきちんとやらなければならないのでは、と思いながら本業との折り合いがつかず周りに話せる人もいなく、といううちにずるずる時間が過ぎていった感があります。
伊藤剛さんなんかのブログを見て最新のマンガについて語られているのを見ると、いまの自分ではもはや処理不可能という感じで、ただ自分の守備範囲については伝えていく必要があるなと痛感しています。

どうしても一人のマンガ読者史として私語りになるのは避けられないのですが、作家論で言うと、えんどコイチあきの香奈をまずなんとか採りあげたいと思っています。両者とも地味な作家でごく一部に根強いファンがいて、知名度もそんな高くなくいわゆる天才型とは全く違いますが、このへんを採りあげないとと80年代のマンガ史は書けないと思っています。
それから倉多江美ですね。橋本治が真っ先に採りあげながら途中でマンガ評論からはずれていってしまったのですが、さべあのま高野文子などのニューウェーブの登場は私の記憶ではまさに倉多の登場と橋本治の評価から始まるのであって、この人をきちんともう一度評価してからでなければやはり世代の隔たりが大きすぎて私では岡田史子を語ることはちょっと無理なんじゃないかと思っています。