上田トシコ先生のこと

上田トシコ先生が今年の3月7日に亡くなられてから2ヶ月経とうとしていますが、4月17日頃に訃報が公にされて(たぶん「明日の友」の編集後記から新聞へとなったのでしょう)、私にとっても大切な作家だったのでとてもショックが大きいことでしたが、ぼちぼち思い出を記そうと思います。一日では終わらないので順次更新という感じでここに書いていく予定。

僕がマンガを研究の対象としようと思ったのは大学で学漫にいた頃でしたので21歳くらいになりますか、物心ついた頃から学習雑誌のマンガを読んでいたので漠然と漫画家になりたいと思っていました。学習雑誌のほかにテレビでやっていた「トムとジェリー」がものすごく好きで、高校生になってから少年ビッグコミック、少年サンデー、ビッグコミック・スピリッツを購読し始めて、少女まんがのほうに行くのは高橋亮子あすなひろし以後、倉多江美で本格的に少女まんが雑誌を読み始めました。80年代の前半でこの前後からガロも読み始めていたのですがデザイナーっぽい感じが増えていたかな、女性作家が活躍し始めた時期でもあって、さべあのま高野文子の商業誌への登場が話題になっていた頃です。ギャルズライフの主婦の友社が出していたギャルズコミックDXというマンガ雑誌がなければもしかしたら少女まんがの方向に行かずマンガ読みをやめていた可能性もあったかもありません。コミケットの知名度が拡大していった時期でもありますね。

高野文子の登場は当時センセーショナルなものだと思いましたが、絵柄については上田トシコのスタイルを最も多く受け継いでいくようになります。高畠華宵記念館としての弥生美術館ができて大学生時代からちょくちょく行っていましたが、上田先生の、当時は伝説の作品だった「フイチンさん」の原画が展示されていたのを見たことがあって、私がいままで見たマンガの原画の中では現在でも最高のものでした。とにかく線がすっきりと美しく、修正もまったく入っていないものだったので惚れ惚れと見入ったものです。しかし名うてのマンガマニアでも上田トシコに言及する者がほとんどいなかった。米沢嘉博さんはそのへん偉かったと思います。

たぶん自分が高校生の頃に漫画文庫の最初の試みがあって、結局買いそびれましたが「ぼんこちゃん」が集英社漫画文庫から出ていました。この名前はりぼんに載っていたことから名づけられたのでしょう。まだ上田「としこ」名義です。

『りぼん』の創刊は昭和30年(1955)ですが、「少女ブック」が昭和26年創刊で、翌年に「明星」が出ています。『少女ブック』では創刊当初から「ボクちゃん」を連載しているようなので、もともと集英社と縁のある作家のようです。
小学館のコミックのページに小学館漫画賞の歴代受賞者が載っていますが、上田としこ先生は第5回に『ぼんこちゃん』『フイチンさん』ほかで受賞しています。
先生とか言うと堅苦しいと言われると思いますので、以後さんづけにしますが、上田さんが本格的にブレイクするのが『少女クラブ』で連載された「フイチンさん」であるのは以前にも記しているかと思います。「フイチンさん」は終盤になってお師匠さんの松本かつぢへのオマージュなのでしょうか冒険ものの展開になるのですが、あのものすごく長いおさげ髪をばっさりと切るシーンがあって、私は少女まんが史上で最高にかっこいいシーンだと思っています。

フイチンさん 1巻 (漫画名作館)

フイチンさん 1巻 (漫画名作館)

フイチンさん (2) (漫画名作館)

フイチンさん (2) (漫画名作館)

フイチンさん (3) (漫画名作館)

フイチンさん (3) (漫画名作館)

ライバル誌から依頼を受けるということでは『明星』のライバルの『平凡』に「お初ちゃん」を連載していました。

お初ちゃん (アレ!コミックス)

お初ちゃん (アレ!コミックス)

上田さんは当時40代になっていましたが、仕事場に男性の学生を招いてモデルにしていたという記事が彷書月刊2004年2月号にあります。もともと上田さんが松本かつぢの一番弟子となったのはかつぢが漫画を描く上で若い女性をモデルとして観察できるという目的だったらしいのです(弥生美術館が出したかつぢ本の決定版の中の上田さんの述懐による)。
松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)

松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)

若者風俗を描き、「フイチンさん」と並ぶ戦後漫画史に残るマスターピースの一つといえるでしょう。この2冊は必読ですが実は自分も「フイチンさん」は持っていません。上田としこの戦後漫画史における重要性を紹介しました。遺作となった「あこバアチャン」は老年向けの『明日の友』で35年にわたる長期連載となり、戦後女性マンガの最先端を走り続けたと言ってよいでしょう。