アンチオトメチックまたはおんなのこ主義
それにしても、陸奥A子という少女マンガ史上もっとも革命的なペンネームはいったいどんな経緯でつけられたのだろうか?
A子という伏せ字的名前が喚起するのは単なる匿名と言うよりもむしろ虞犯少女のイメージではなかろうか。もちろんそれは作者の描く乙女チックまんがの微温的なイメージとはまるでミスマッチのようにみえる。大塚氏はりぼんを中心とした「おとめちっく」ムーブメントについて24年組からの影響に匹敵するものとして評価すべきであるような旨をかつて記していたのではと記憶するが、私はそこに『少女たちの「かわいい」天皇』という題名に感じるのと同じ違和感、もっとはっきり言えば不信感を抱いている。東氏と笠井潔氏のWeb上に公開された往復書簡を新書化した『動物化する世界の中で』の中で、東氏自身が高校時代に実際に皇居前広場まで行って結局は記帳せず、友人は偽名を書き込んでいたと記しているように、それは少女に必然的に結びつけられるものではない、コミケのごとき「祭り」(東氏は天皇の死というイベントをスノッブに「物語消費」してみた、と分析できなくもない、という旨を記している。p39)だったのではと思われるが、乙女チックまんがに関しては明らかに中学時代にそれは男子生徒の間でこそ「流行って」いたのを私ははっきりと目撃しており(自分と同学年の中学生たちはこのときすでにA子タンと呼んでいたような気がするが定かではない)、橋本治氏が「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」の陸奥A子論で喝破したように、それは「優しいポルノグラフィー」として少年たちにまさしく「消費」されたのが画期的だったのだ。A子という名前はその命名がたとえ偶然であったにせよその限りにおいて興味深い。だが陸奥A子の名前を私が革命的、とまで呼んでしまうのは、思いもよらない出来事が後に起こったからである。
吾妻ひでお自身がコミケに参加した当時にロリコン漫画ブームが起こり、それはやがてやおいにいたるまでのオタクサイドの性表現へと脈々と続いているが、当時の代表的なロリコン漫画家である内山亜紀氏が別名義で描いた「おむつをはいたシンデレラ」は陸奥A子の絵柄を真似たロリコンパロディ漫画であった。これは後にCOMIC BOXに再録されて私は少なからず衝撃を受けたものだが、当時の少女漫画の特徴であった点描や浮遊物を美少女漫画へともっとも積極的に取り込んだ作家が内山亜紀であり、彼は少年チャンピオンが黄金時代から峠を下る時代に「あんどろトリオ」というロリコンマンガを連載している。はっきりと確認していないが一年近く連載が続いたのではないか(ちなみに同じ頃、後にジャンプに移籍して成功を収めるえんどコイチの「アノアノとんがらし」はラブコメという設定と作者の志向がミスマッチして編集サイドで派手にプッシュしたにもかかわらずその後チャンピオンでの発表の場を失うほどに失敗したのだが(私にとって彼の代表作はこれである。後に記す「おんなのこ主義」に近い要素がここにはあった。その失敗は少年漫画の限界にあったのではないか)、吾妻ひでおのフォロワーがみんなロリコンを志向する中でえんどコイチは吾妻に多大な影響を受けたと思われながら全く異彩を放っていた。彼はチャンピオン時代のキャラクターをほとんどジャンプにそのまま移しただけで5年以上(7年くらいか)も連載を描き続けることができて、その後新しいキャラクターが創造できないというギャグマンガ家の隘路につきあたりながらもジャンプに残っている。デビュー作の「遠足の日」は泣かせの常套とはいえやはり泣ける話だったので私は彼の代表作である「死神くん」を読むことを意図的に禁じた。あの手の作品は偽善的になったり説教くさくなることを免れ得ないと思ったからだが、最近になってようやく古本屋を4軒くらいめぐったらあっさり全巻揃った)。
脱線が長くなりすぎたが、要するに言いたかったのは、陸奥A子の「陸奥」のほうが「おむつ」を介してロリコン趣味という嗜好に結びつけられてしまったのだ。ポルノグラフィーにパロディはつきものだが、A子はともかく少年誌におむつ趣味のマンガが載るような事態がくることは予想すらできなかった。その後えんどコイチが妥協を拒んだレベルでの(まあ絵がヘタであったのだけど、下手ならばかえってそれがマンガとして成り立つことを高く評価する)お手軽乙女チック美少女漫画とでも言うべき「ラブコメ」マンガがやがて少年マガジンをはじめとする少年誌にうんざりするほど現れるようになる。
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萩岩睦美の名前からも、パロディ化の危うさを私は秘かに懸念していたが、萩岩さんはその後も「パールガーデン」などのキャラクター路線を進め、ポルノグラフィー化する余地を与えなかった。それともう一人、当時むつみといえばキャラクターデザイナーのいのまたむつみが人気を博していたが、いのまたキャラというのも不思議とポルノグラフィ化を拒む感じを強く受けた。
ちょっととりとめのない話になったのでいったん中断するが、これは実際20年ほど前に私が考えていたことを思い出して書いたメモである。記憶だけを頼りにしているので正確さは保証できないことを書き添えておく。
少女が片思いの相手に寄せる恋心をモノローグふうにつづった乙女チックまんがが、少女が思いを寄せる青年の希薄化によって少年たちの妄想をかき立てて美少女漫画への誘惑を容易に誘発してしまうのに対して、萩尾や竹宮が描く少年とはやや異なる、物語の語り手として少女と同じように悩む青年像が開発されていったのが「銀曜日のおとぎばなし」の頃にはほぼ完成すると見る。私の関心の範囲はものの見事にその近縁に集中していることに今更ながら気づくが(私の言葉を拒否しすべてを母親の責任に帰す父との対立が大きなテーマだった自分にとってそれは必然だったに違いない)、岩館真理子が「ガラスの花束にして」でそれまでの乙女チック的な題名を振り捨てるところから、私は自分の好む作品群を「少女」という「汚染された」言葉を避けて「おんなのこ主義」とか「アンチオトメチック」と秘かに呼ぶようになったのであった。
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