マンガバカ一代 [lacoアーカイブズ]

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

「武居記者」が書いた赤塚不二夫本。赤塚さんのエピソードはいろいろなところで語られてきたのでこれまで知らなかったエピソードは特になかったかな。この本が面白かったのは赤塚さんが大ファンだったという美空ひばりを前面に押し出しているところです。その分手塚さんにはちょっと辛辣な印象を受けますが、それは手塚さんだけに限らずいろいろな編集者たちにもずけずけと率直にものを言っています。武居氏の履歴を見ると少女漫画のほうが長いのと、あと生涯一編集者として過ごしてきたということで、あっぱれなバカっぷりに徹しています。ちょっと私どもの年代以降はかなわない。

私は親から小学館の学習雑誌を勧められて読んでいました。というのは学力テストがあったんです。テストに答えてそれを小学館に送ると採点されて返ってきて、点数がいいとメダルがプレゼントについてきたと思うんですが、もう昔のことなのでちゃんとした記憶がありません。学歴コンプレックスの父は教育熱心で、私は幼稚園の高学年で小学一年生を読み始め、五年生で小学六年生を読み終えてしまったのですが、お小遣いはもらえなかったしマンガ雑誌など買ってもらえませんでした。
じゃあ漫画を読んでいなかったかというとそんなことはなく、床屋さんの待ち時間でマガジンを一通り読んでいました。床屋に置いてなかったサンデーは歯医者などで読んだりしていましたのでごく部分的にしか読んでいませんでしたが、武居記者のことや山田一郎に改名したのはリアルタイムで体験していました。

赤塚氏と手塚氏はいろいろと対称的で、赤塚さんの交遊はマンガ界をはるかに超えていますしアシスタントで独立して成功した人も多数輩出しています。

私はここしばらくあすなひろしの「布教活動」をしていましたが、あすな氏は赤塚氏は嫌いだったそうです。まあ性格的に合わないでしょうね。私は別にあすな信者ではないのですが(大好きだからといって信者ではないのです。信者になるのは作家に対して失礼だと思っているので)、あすな氏の経歴をたどるとマンガの知識が確実に増えるので強力にプッシュしてきました。赤塚氏について知るとマンガを超えてサブカルチャーに詳しくなるでしょう。

奥成達という人がいて(あすなひろしつながりでは川本コオ、高信太郎両氏とも交遊があった)、かなり大きなWebサイトがありますが、赤塚さんが山田一郎に改名した時、赤塚不二夫の名前を奥成氏にあげたことが以下に書かれています。
http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/tatsu/zassi2.html
赤塚氏が書いた奥成氏との出会い
http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/tatsu/nyarome.html

奥成氏はサザエさんのパロディ事件で長谷川町子さんに訴えられたことで知られていますが、その一方で「天才バカボン」の文藝春秋漫画賞受賞を一番強く推薦したのが長谷川さんだったとのこと。赤塚氏が長谷川さんを「戦後最大の漫画家」と称えたエピソードは武居氏の本にも書かれています。