近況とか

ここ最近仕事のない日は異様に充実していたのでしたが、どうもゆったりできなくて疲れをためています。

大阪の国際児童文学館については、力及ばずというよりもかえって迷惑をかけてしまったのではないかと思い、大阪でこの施設に長い間親しんできた方々には本当に申し訳ないです。

ちょっとメモする予定でしたが、モバイルの電池が足りないのであとで書きます。

追悼 レヴィ=ストロース そして構造主義について

最近中沢新一氏が訳書かなんかを出していたので久々に注目されるかなと思ったらお亡くなりになりましたか。まあ大往生ですね。

親族の基本構造

親族の基本構造

高校時代の先生が余談でこのあたりとか、ウェーバー絡みでカルヴィン(今はカルヴァンと呼ぶんだったかな)の予定説の話などをしていた記憶があります。

構造主義と言ったら、ヤコブソンヴェイユと三人で紹介すべきと思うのですが、彼らの本をきちんと読んだ訳ではありません。

言語とメタ言語

言語とメタ言語

シモーヌ・ヴェイユの兄であるアンドレは数学者で、彼とその仲間たちは架空の数学者ニコラ・ブルバキとして構造主義を標榜し、独自のスタイルの数学全集や数学史の本を刊行していました。大学に入学していきなり数学から落ちこぼれた私は図書館でブルバキのずらりと並んでいた本をめくってその難解な記述に戸惑っていたのですが、ヒルベルトの形式主義やブラウアーの直観主義のとる立場がそれなりにわかるのに対して、数学における構造主義ってのが結局なんだったのかいまだによく知りません。ただ、レヴィ=ストロースの論文に貢献したことは確かで、そこで構造主義と言ったら第一にレヴィ=ストロースの名前が出てくるのは当然の理とは言えるでしょう。
それにしても、自分が大学生の頃にニューアカブームなんて変な社会現象が流行してポスト構造主義などと呼ばれた言葉が構造主義とともに巷にあふれましたが、そもそも誰が構造主義者で誰がポストなのかもよくわからぬいい加減なまま、建築用語として登場したポストモダンとごっちゃになって、挙句のはてにソーカル事件のような騒ぎが起こったのはサブカルの業とでも言いましょうか。
バルトやフーコーに代表されるフランスの知識人の仕事は構造主義などとかポスト構造主義とかバズワードでくくっても意味がない気がしますし、今でも人気があるのはラカンくらいじゃないですか?日本のジャーナリスティックなラカニアンはやたらたくさん本を出して読んで見たらつまるところは人生論か、なんて感じるのも興味深くはありますが、ラカンはとりあえすどうでもいいので時代背景なども視野に入れた構造主義の再考と言ったものを読んでみたいものです。

米沢嘉博記念図書館で発狂

いえね、先週は神奈川近代文学館の大乱歩展を見に行ったり、その前には漫画関係のレクチャーを聴いたりけっこう休日は幸せに過ごしていたのですが、神保町で第50回神田古本まつりもあったので開館当日の米沢嘉博記念図書館に寄ってきました。
お茶の水まで出るには通勤区間から思いっきり離れているため運賃が馬鹿にならないと、神保町ブックフェスティバルと弥生美術館とまとめて見に行こうとか思っていたのでしたが、朝から疲れがたまっていて土曜の午前中にBS2で一週間分まとめて放送している「ウェルかめ」を見ながら身につまされる思いにもだえつつ結局午後1時くらいまで家で過ごしてしまったので、弥生美術館行きはお茶の水に着いた時点でキャンセルし、もう漫画関係者の皆さんもそんなに残ってはいないだろうと思って4時頃にたどり着いたのが甘かったのでした。入ったらいきなりヤマダトモコさんが一階で受付をやっていて、二階のカウンタのほうも総動員の趣き。しかしそれ以上に開架に置かれていた少女漫画雑誌のセレクションが私の琴線に触れまくって、手にとって読んではおおっと歓声をあげたりと、いつにもまして狂っておりました。
開架に出されている本は全体のほんの一部にすぎないので、閉架の本を閲覧する場合には事前にできるだけ予備調査をしていないとちょっと困りそうですが、開架の少女雑誌の半分以上が私がもともと研究の対象にしていた80年代の少女漫画雑誌と70年代の女性漫画雑誌だったりして、70年代初めの少女雑誌も若干置いてあって、米沢さんの「戦後少女マンガ史」を読んで80年代に少女漫画雑誌を読んでいた人にとっては願ったりかなったりというセレクションになっていたのでした。あらためて思ったのは、80年代の少女マンガもしっかり狂っていたなあということ。たしか80年代はじめの「りぼん」とかこれはいったい小学生女子の読者層をターゲットにしているんですかと思うような雰囲気だったり、Kissの前身であったmimiが途中でいきなり中綴じの隔週刊に変わったりしていたこととか(これは当時気付かなくって、また月刊に戻っているはずなんですが)、コミケの興隆が80年代の少女漫画にいかに影響を及ぼしたのかという興味深い問題をあらためて認識させてもらいました。

あとは、たとえば萩尾望都は「なかよし」でデビューしていますが実はデビューした当時の「なかよし」って本当はどんな雑誌だったのかをきちんと語っている人っていないんじゃないかとかは真っ先に思いました。なにしろ萩尾望都本人が「なかよし」でのデビューを選択したのだし、80年代以降の「なかよし」のイメージで考えると絶対間違えると思います。あらためていわゆる花の24年組史観を一度解体して再構成するという作業は少女マンガ研究の中でも優先度が非常に高い問題だと思いましたが、そのカギを握る作家の筆頭が矢代まさこであろうことも予想されました。だいたい矢代さんの短編って相当いろいろな雑誌に描かれているのにそれゆえにコミックになっていないのが相当あるのではないかと思います。矢代まさこの再評価はぜひ誰か進めてほしいなあ。陸奥A子にしたってウィキペディアによれば1972年デビューとなっていますがこんな時期におとめちっくなんて言われてなかったはずで、そんな言葉がいつ生まれたのかすら検証されていないんじゃなかったかしら?
そんなわけでまだまだ少女マンガ研究者が全然足りないんじゃないか、という感を強くしながら頭の中にいろいろな思いが次々とあふれ出して発狂していたのでありました。開架の少女マンガ雑誌はあまり状態が良くないものも多く、取り扱いはちょっと気をつけたほうがいいです。
ザ・マーガレットに載ったあきの香奈の初期作品と(あきの香奈ザ・マーガレットに作品を載せたことがないと思い込んでいたのですが勘違いだったのか)やまだないとのデビュー直後の単行本未収録作品を読んで(デビュー時は山田朝子名義)、6時に館を出ようとしたところで入り口に入ってきた藤本由香里さんに出くわして思わずびっくりしました。
私が漫画関係でたまたま面識を持った女性の中では、藤本さんと水沢めぐみ先生は断然ガチなんですよ。どんなにモデルのような美人でもそれだけでは普通の女性とあまり違う感じはしないのですが、なにか言葉では言い知れない天性の女優性のようなものがあるのです。変なたとえですが(というのは最近のスターに疎いもので)長沢まさみ蒼井優にはほとんど感じられないのに宮崎あおいからはビンビン伝わってくるオーラみたいなものがですね、あるような気がします。水沢さんは一般的に言うような美人というのではないのですが、本人が自分の描いている漫画そのものを全く裏切らず決してぶれないところは変な言い方になりますが常人離れしたすごさを感じさせるのです。それにしてもなんでこんな話をしているのかというと、9月に伊藤剛さんの発表を聴く機会があった日の夜に、デビュー40周年記念のミニパーティーに呼んでいただいたということがありまして、その場でサークルで先輩だった人から谷川史子さんの話をちょっと聞いたのですが、私はその話を聞いて谷川先生もどうも水沢めぐみと同じくマンガと本人が直にリンクしているタイプらしいように話を受け取ったもので(少なくともとても美人でマンガのイメージそっくりなのだそうです)、藤本さんと出くわしたときにふとそんなことを思い出していたので、要するに館内で自分はずっと発狂していたんだなと思った次第でありました。
図書館を出て神保町に出てみたのがすでに6時過ぎで、パンフなどを手に入れたところ、神保町ではいろいろとイベントが開かれていたようで、たとえば16時から坪内祐三さんの講演会があったことを知って、事前予約が必要だったらしいのでいずれにしても聴けなかったようですが、せっかく催しごとがあって出かけるのであればもっと事前にいろいろと情報を調べておけばよかったと、今回は妙に予定が狂ったので痛感したのでありました。いやどうも乱文になってしまいましてまた3日も何かあったはずなのでチェックしておかなければいけません。

先週の大乱歩展の記念講演会の話とか、漫画表現における修辞(レトリック)の問題とかについてもいま少し書いておきたいのですが、ちょっと時間がないので、本だけ紹介しておきます。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

紀田順一郎さんの乱歩についての講演で、後半にコード化とか脱コード化とか出てきまして、
ドゥルーズ=ガタリのこの本に何が書いてあったかよく覚えていないのですが、そういえば脱領土化ってのがこの本のキーワードだったような。宇野邦一氏による新訳で文庫だと意外と安いとおもいます。

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック認識 (講談社学術文庫)

レトリック認識 (講談社学術文庫)

レトリックとは何かといわれるとうまく説明できませんが、佐藤信夫氏の本は基本図書と言えるでしょう。

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

これはロラン・バルトの論文を日本で独自に編集したものかしら?蓮實重彦のセレクションなのでしょうか、ちょっとわかりませんが、いわゆるコードについて知識を整理するにはなかなかいいんじゃないかと思います。マンガ研究はむかしからあまり蓮實重彦とかとつながらないですけど初期の著作とか読むとけっこうためになると思うのですけどね。

フーコーの入門書は山のようにありますが、マンガ研究に役に立つかもしれないフーコー入門としてけっこう好きな本です。最初にベラスケスラス・メニーナスからマネまでをとりあげていて、それからフーコーデリダの論争についてとりあげているところがいい。

現代マンガの思想 (1970年)

現代マンガの思想 (1970年)

これ、どこかで文庫として復刊させませんか?石子順造はやはりこのへんが読めなくては。

連休は部屋の掃除だけで終わった

工事の都合があってどうしても空間を空けないといけなかったので必死に物を減らしましたが、なんかすごく疲れました。

Upgrade & Afterlife

Upgrade & Afterlife

掘り起こしたら埋まっていたCDやら本やらがいろいろと出てきて、思わずゼロ年代の低調さを感じてしまいましたが(とか言うと思い切り嫌われるんだろうな)、Amazonで売っていなくてもディスクユニオンとかタワレコで売っていれば別にいいけど(本はアマゾンで買ってしまったがCDだけは買わん)。ちなみにGastr del Solのこれは日本盤が一瞬しか出ませんでしたが、CDの印刷面が真っ黒で端のほうに赤い点が一つあってスケルトンのCDプレーヤーだとPlayを押したとき回り始めるのが良かったんですね(そんなCDプレーヤーが昔はあった)。
しかしJohn ZornのSpillaneとかがiTunes Storeで500円で売っていたりすると元の音から圧縮がかかっているとはいえ複雑な気持ちになります(それにしても最近はてなが使いにくいような気がする)。

Spillane

Spillane

ちなみにこのジャケットに写っているのは宍戸錠鈴木清順殺しの烙印だったっけ?

連休はあっという間に過ぎた

今回は5日間も休みがあるから不義理をしている人に手紙を書こうとか温泉に行きたいとか事前に決めていたつもりが、部屋の大掃除と挙動不審のパソコンのメンテナンスだけでじかんがつぶれる。手紙が書けなかったなんて普通あり得ないだろう⁉
とりあえずカラオケと銭湯には行きました。
臼井儀人さんのご冥福をお祈りします。しんちゃん以前から知っていましたがいい作家でした。

8月中に書けなかったことをつぶやいてみる

  • フリージャズの生き証人にして集団即興演奏界の至宝、Alan Silvaの20数年ぶりの奇跡の来日公演がとてつもなくすごかった

  ※ たとえばセシル・テイラーがオーケストラの指揮をする姿は想像できないなあ...
  ※ サン・ラとかザッパの指揮を映像で見たことがあるが、テイラーブルーノート盤はSilvaさんが裏の番長だったのかも。ドルフィートニー・ウィリアムスみたいな。
  ※ むかし毎月のようにラ・ママでやっていたジョン・ゾーン発案のコブラを一度見ておきたかった。最近やってないかしら

  • エヴァ破の批評がまるで盛り上がらない件について

  ※ 円谷で育ったので単純に楽しめました
  ※ そもそもガンダムに興味がわかない体質ですけど円谷系はまあ見られるのだ
  ※ サマーウォーズの評価が割れているけどわかり易すぎるなあ
  ※ それ以前に、この前に映画館に行って見たのがヤッターマンというのが情けない(タツノコか!)
  ※ 次に映画館に行くならディア・ドクターにするでしょう

  • デジカメがいま再び進化しつつある兆しで面白くなりそう

 ペンタックスKシリーズの30数年ぶりの復活とオリンパスOMシリーズ登場のころの再来かも
  ※ それにひきかえいまどきの携帯電話の売りが防水ってどうなの?

 いずれにしても金がないので父の遺品のカメラを引っ張り出してきたらKXだったので気づいた次第。その前に持っていたミノルタは一眼じゃないですが(ハイマチック7らしい。一眼はSRだった)おさがりでもらったとたん分解して壊しちゃったんだっけ。以来一眼レフを買ったことがありません。

  • マンガはゼロ年代にJ-Pop化していったのか?

90年代の後半には単に渋谷系などとくくれないバンドをけっこう輩出していたような気がするのだけど。
ここ数年はまず産業ありきでアーチストが生産されていますという感じがして萎える。
NHK井上雄彦特集を見たけど、創作が自己の探究になってしまうようなある種のヤバさを回避してしまえば40すぎてまで漫画界の一線で活躍するのはちょっと厳しい。
エンターテインメント産業と割り切ると日本のコンテンツの国際競争力ってたぶんかなり弱いものになると思ったりするんですけどね。

ユニット・ストラクチャーズ

ユニット・ストラクチャーズ

RICOH デジタルカメラ GR DIGITAL III GRDIGITAL3

RICOH デジタルカメラ GR DIGITAL III GRDIGITAL3

Nikon デジタル一眼レフカメラ D5000 ダブルズームキット D5000WZ

Nikon デジタル一眼レフカメラ D5000 ダブルズームキット D5000WZ

抒情詩と四コマ漫画

最近マンガに関して雑誌が不振にあえいでいるなどといろいろなところで話題になっていますが、ここ数年マンガ研究は目立たないながらも着実な成果を上げつつあると思っています。そんな中で突然ですが清水勲さんの新著が出ていました。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

岩波新書ですがちょっとすごいのが図版の量。全体の半分にはさすがに至っていないでしょうが、誌面の三分の一を超えているのではないでしょうか。
四コマ漫画は起承転結があってマンガの基本とかつてはよく言われましたが、日本ではもともと六コマ構成が多く、世界的に見たときには三コマ漫画もかなり多いとのこと。掲載する媒体が新聞か雑誌かでも変わりそうです。判型の小さめな雑誌で見開き二ページだと六コマはちょうどいい具合になります。
ロドルフ・トップフェール(著作上の表記による)のコマを割った漫画表現(バンド・デシネ)よりも早くから日本にコマを割った物語絵があったという指摘など明治の漫画を中心に研究している清水さんらしいですが、マンガにとってのコマ枠をどう考えるかという問題につながるところでしょう。

これまでのエントリで書いたこととちょうどつながるところで興味を惹いたのは、麻生豊の「のんきな父さん」です。どうしても「ノンキナトウサン」とカタカナが浮かぶのですが、実際に載っている図版では「のんきな父さん」と題名が書かれています。これが興味深いのは、題字だけでなく吹き出しのセリフまで左から右へと横書きで書かれているところ。「のんきな父さん」はアメリカのG.マクマナスの「親爺教育」が日本語に訳されて『アサヒグラフ』等に掲載されたのを範としたといわれていますが、報知新聞に掲載された作品を見ると、左から右へ進み二段組みになっています。六コマ完結の図版もありますが、これも左から右へ進みながら三段で構成されています。つまりコマの進行に合わせて文字を読むために、左から右に横書きにしたことがわかります。本をいま買って帰ってきたばかりなのでこの方式がどのあたりまで受け継がれたのかはわかりませんが、日本の新聞、雑誌は縦書きで右から左進行なので、マンガの左から右へ読む進行は紙面全体からみると例外的な反対方向となり、国産の漫画はおそらく右始まりで構成し直されたのでしょう、ほかの図版でも左から右へ進行するものは載っていないようです。
左から右へ横書きというのは、戦前の日本でも時々見られます。なぜなのか不思議に思っていましたが、外国の新聞、雑誌の紙面から引き継がれたこともあったのでしょう。

この本ではちょうど半分を過ぎたところから戦後四コマ漫画の紹介になっていて、ざっと歴史をなぞる感じでちょっともの足りませんが、ひとつ直接四コマと関係ないところであっと驚いたのが、かつてヒットした「オバタリアン」の作者が実はかつて少女まんがの連載をもっていたということ。私が中学生の頃ですが、すえつぐなおとという男性作家がたしかにマーガレットに連載を持っていました。病院の待合室で読んだので連載は別冊マーガレットだと思います。言われてみるとかつてのほのぼの系の絵柄が残っているので、四コマでは誰の絵柄の系統をたどったのかちょっと考えてみて、もしかしたらフジオプロから古谷三敏の絵柄でしょうか。あだち充の兄である漫画家のあだち勉学年誌に載っていた「ダメおやじ」のアシストをしていた記憶があるのです。

全然抒情詩にたどり着かないまま長くなっていますが、明治の四コマを紹介しているところで国木田独歩の名前が出てきました。独歩は編集者であり、本人がマンガを書いたのではないと思いますが(しかし職業漫画家が少ないころは編集者が漫画を自分で書くこともあったので、独歩に絵心があったか調べたほうがいいかもしれません)、独歩は明治期に数多くの雑誌を創刊していて、創刊100年を超えている『婦人画報』を創刊したのが独歩であることは知る人ぞ知る事実です。それで、私が期待したのは竹久夢二の四コマが載っていないかということでしたが、私が見たのは過去にたった一作だけでもあり、本では全く触れられていませんでした。
今回の清水さんの本には小林清親について詳しく書いていますが、コマ絵については書かれておらず、コマ絵がいわば一コマ漫画のように一枚絵のカットの形式であることを考えればそれは当然なのですが、竹久夢二の名声を得る前に描いていたコマ絵は謎が多く、有名になる前に無記名でコマ漫画を描いている可能性があるのではないかと思っているのです。

私が見た夢二の四コマは、町田市立国際版画美術館が2001年に開催した、「夢二1884-1934 アヴァンギャルドとしての抒情」という竹久夢二展の図録に載ったコマ絵の図版の中でたった一つだけあったものです。図録の気合の入った内容からして、このおそらく画期的だったであろう夢二の回顧展について私は実際の展示を見ておらず、たまたま町田市内のどこかの売店で売っていて手に入れたこの図録を長らく見失っており本当に四コマだったのかもちょっと自信がないのですが、最後に見事にオチがついていて夢二には漫画の才能もあったようです。その図版は掲載誌も年も不明ですが、抒情詩を書いている独歩と抒情画の産みの親というべき夢二が明治の末に一緒に仕事をしていてもおかしくないと思うので、だれかいい機会と思って調べてみてほしいと思うところです。