祭りの前

毎日外で過ごす時間が少ないので暑さによる夏バテということはないのですが、このところ体調の変調が激しく今日も月曜というのに異常に体調が悪いので出勤をあきらめて一日寝ていました。予定が狂いまくってしまった。

こういうときはテレビは音を聴くだけでも体に障るので、寝ころんだ姿勢で本を読むことでやり過ごすことになります。

哲学者たちの死に方

哲学者たちの死に方

本屋でぱらぱらとめくってみたら冒頭から名言が詰まっていてこれはイチオシ。紹介されている哲学者の数が豊富で哲学入門としても出色といえましょう。
たとえば終盤のほうでデリダデイヴィドソンといった項目を読むと、これらの哲学者がどんな哲学的な思考をしていたのかがとても簡潔にまとめられた文章で書かれていて、日本版ウィキペディアよりもはるかに役に立ちます。

書棚と平台―出版流通というメディア

書棚と平台―出版流通というメディア

まだ斜め読みしかしていないですが結構値が張った割にちょっとハズレっぽいかな。序章から若書きっぽいと思っていたら修士論文をベースに書きなおしたものとのこと。著者の経歴を見ると出版取次勤務から大学院で研究をはじめて現在博士課程とのことで、業界人っぽい価値観が無防備に表に出ているところが引っ掛かります。まだ細かく読んでいませんが、題名のもとになったであろう「購書空間」のアイデアに絞ってそれを深く掘り下げたというわけでもなく、先行文献からピックアップしたダイジェストみたいな印象。著者自身が結びの文で欠点が多いと書いているので、たたき台として使えば役に立つでしょう。

戦後雑誌とか絵本とか

世田谷文学館で開催されている堀内誠一展について以前エントリをメモしていましたが、どうもまともに文章を書けなくて書き残したことがありました。
戦後の雑誌を考える上で堀内誠一の存在は極めて重要だと言えます。独特のエディトリアル・デザインは日本の雑誌デザインの歴史の集大成として見ることもできるでしょう。これはWebデザインが現在持っているさまざまな制約を考えると大いなる豊かさと余裕をたたえています。
雑誌においては名編集長の存在よりもデザインが重要とすら思います(優れたデザインを採り入れるのが名編集者と言うべきでしょうか)。日本の雑誌の場合、右から開く雑誌でも読んでみると縦書きと横書きが併用されていることが予想以上に多いのですが、横書きを使う広告が多いことが一つの原因ではないかと思います。雑誌を読む視線はかなり複雑な動きになります。
横尾忠則を表紙に起用した頃の少年マガジンは漫画の表現も実験が多くみられたのではないかと思います。少年バカボンは有名ですが、今月の初めのほうで川崎市民ミュージアムさいとうたかを氏の講演を見に行ったときに「無用の介」を思い出して、子供のころ読んだマガジンでちょっと画面の実験めいたことをしていたような記憶が浮かんできました(今日も某所でさいとう先生の講演があったのですが聴講は断念しました)。なお、川崎市民ミュージアムでは「サンデー・マガジンのDNA -週刊少年漫画誌の50年-」展の開催中です。
ちょっと話がそれますが、日本の本といえば、ペーパーバックが少なく文庫や新書にもカバーがかかっているのは興味深いことです。マンガのコミックスは雑誌扱いでしたが(今もそうなのか調べるのをはしょっています)、これもカバーがついています。ベンヤミンの用いたアウラの概念はあくまでもオリジナルとコピーの区別を示すものですが、複製作品にとってパッケージが一種のアウラのようなものをまとわせている時期があったと思います。これがいま失われてきているのだとすれば、美術そのものを知る手掛かりも失われてきているんじゃないかという気もしてきます。


堀内氏の仕事として児童絵本の仕事は大きな位置を占めていますが、絵本に造詣が深く、絵本を紹介する本に数多く携わっています。
特に福音館書店から発行された「絵本の世界 110人のイラストレーター」は絵本の歴史を知る上での基本文献といってもいいでしょう。

絵本の世界 110人のイラストレーター 第1集

絵本の世界 110人のイラストレーター 第1集

第1集で紹介されている「ジャンヌ・ダルク」はたしか堀内氏が世界で最も美しい絵本と呼んだものではなかったかと思いますが、記憶違いかもしれません。作者は堀内氏による表記ではモーリス・ブーテ=ド=モンヴェル、モンベルと表記されている場合も多いようです。フランスのマンガ(BD)にも大きな影響を与えているのではないでしょうか。

まとまりなくいろいろな話題を中途半端にメモしましたが、今日はこのへんで。

自分のための後記

このエントリを書いたあとで、自分が初めて自分の小遣いで買ったのが高橋亮子の書き下ろしが載っていた週刊少女コミックだと思い出して愕然とする。くらもちふさこを初めて読んだ記憶のあまりの鮮明さに比べて、20年くらいの長きにわたり忘れていたことをいま思い出すとは。その後倉多江美にぞっこんで大島弓子にたどり着くまでは現在まで少女漫画にこだわるようになるとは想像すらしていなかったが、その後の話も書こうとすれば長くなる。高橋亮子の長編をきちんと読んだことは実はないが、やはり読んでおくべきだろう。これほどまでに忘れられているとはあのころの同年代の少女たちはあれからいったい何をしてきたのだろうか。

マンガの欧米向け翻訳書の問題

前々回のエントリで紹介した本に書いてあることの中で単純だけど重大な指摘があったのでここでちょっと触れてみます。
日本のマンガには欧米のものとは明らかに異なるある特徴があり、私自身もそれを重要なものと考えていますが、欧米向けに翻訳する際にこれは移し替えがほぼ不可能に近いものです。それは何か。萩尾望都三浦雅士に日本のマンガに独自の特徴があるかと聞かれた際に一言で即答していますが、つまり日本のマンガは文字を縦書きするのが基本ということです。
それがなんで重大な問題なのか、ここで一分くらい考えてみてもらいたいと思います。






アルファベットの場合、左から右へと横書きで文章を書き進めて、縦書きでは書きません。かつて日本のマンガを海外向けに紹介する際には、裏表を反転させて文字の部分は翻訳してから吹き出しを含めてレイアウトし直す作業を経て印刷した形で出版されましたが、できるだけ原作通りに再現することが求められるようになってきて、現在では翻訳して出版する場合も版を裏返さずに右から左に読み進める形が主流になってきました(実物はほとんど読んでいませんが、吹き出しの形までも維持しようとしているでしょう)。これがアラビア語のように文章を右から左へ読み進める場合ならば進行方向が一致しますが、アルファベットではあからさまに読み順と逆方向になり、欧米のマンガ形式の作品に親しんだ読み手には特に違和感をもたらすことになります。
ではこれからのマンガは左から右へ向けて描くようにしたらいいんじゃないかと考える人もおそらくいるでしょう。実はそう考えて作られたマンガ雑誌は存在しています。サンリオが1970年代の末に海外展開を視野に入れて発行していた「リリカ」はその最も有名なものとして知られています。
サンリオはたしか「リリカ」を発行していたのと並行して抒情画のムックをいろいろ出していたかと思いますが(未確認)、表紙を描いていたのは高橋亮子という1970年代の少女漫画の全盛時代に一世を風靡したにもかかわらずなぜか現在不当なまでに忘れ去られている漫画家でした。高橋亮子の絵は少女漫画の絵としてはどこかしら和風の印象が強く、それゆえに抒情画の伝統と結びつけやすいところもあるのではないかとも思いますが、海外向けを意識して作られた雑誌とは言われていても、実際にどのような計画で進められていたのかなどの情報は伝わっておりません。
結局当時はマンガの海外進出は試みられずに終わり、左から右に読み進めるマンガはリリカの休刊後には定着しませんでした。それでは、今ならどうでしょうか。左から右に読み進めるように書けば欧米の読者がもしかしたら増えるかもしれませんが、増えるという確信にまでは至りません。これは私見ですが、日本の漫画が欧米の漫画の形式を日本向けにアレンジしていく過程で、文字を縦書きで書く前提があったことは日本独自の漫画表現の発達にとって少なからぬ影響があったと思います。なので欧米向けに翻訳したものについても漢字文化圏の痕跡を残すことに可能性を見たいと思います。このような形式の問題は内面描写に関する議論以前にもっと検討されていいと思っていますが、この場ではこれ以上論を進める余裕がありません。
ここでとりあえず一旦話を終わらせるために簡単にまとめると、日本の漫画には広義の文学作品の翻訳の問題に加えて、縦書きを再現できないというもうひとつの翻訳不能性が認められ、これを解決するいいアイデアを私は持ち合わせてはいません。しかし「翻訳不能」であることはマンガを美術的にとらえるうえで何らかの手がかりになると思います。
日本のマンガは世界的に流通しているさまざまな漫画表現のなかでは明らかに独自性と特異性を持ってはいるのです。それは、私は何度でも強調したいのですが、日本のマンガが十分に「異文化」であることにほかなりません。


愉快な鉄工所

愉快な鉄工所

『少女の友』中原淳一 昭和の付録 お宝セット

『少女の友』中原淳一 昭和の付録 お宝セット

以上は一応参考まで。

戦前のマンガは大城のぼるの諸作品などがまだ手に入るでしょう。のらくろの戦後に出された復刻版は古本屋で手に入るようですが、ここではもう一度『少女の友』で活躍した松本かつぢの「くるくるクルミちゃん」を紹介しておきましょう。松本かつぢは、直前のエントリに書いた『コドモノクニ』という出版史上でも非常に有名な児童向け絵雑誌を発行していた東京社という、現在は『婦人画報』を出している会社の前身にあたる出版社が出していた『少女画報』という雑誌で昭和の初めにマンガを描き始めていることを確認していますが、デビューは博文館の雑誌です。
後者は非常に値が張りますが、雑誌をまるごと復刻しているので一冊家にあるとやはりいいものです。かつぢは昭和前期の作品でほぼ戦後の手塚的なコマ構成にまで到達していましたが、吹き出しの枠は描かないままでした。もっと正確にいえば、コマ枠の外から声がするときにだけ吹き出し枠を描くという使い方をしていました。「くるくるクルミちゃん」で一度だけ吹き出し枠を全体的に使ってみて、(たしか後者の復刻号に載っているでしょうが松本かつぢの紹介本にも掲載されています)、その後きっぱりとやめています。

松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)

松本かつぢ----昭和の可愛い!をつくったイラストレーター (らんぷの本―mascot)

「コドモノクニと童画家たち」展

横須賀美術館でいよいよ来週23日まで。見応え十分でこれだけそろうと圧巻です。
近くに海水浴場などもあり一日家族で過ごすにもいいところです。

婦人画報 2009年 07月号 [雑誌]

婦人画報 2009年 07月号 [雑誌]

婦人画報に特集あり。

美術としてのマンガをどう鑑賞するか

ここ20年間くらいの傾向として、誰もが物語を過剰に求めるようになったのではないかと思う。世界は物語でできているわけではないのだが、美術の鑑賞の仕方にもストーリーを求めようとする傾向が以前よりも高まったのではないかと思う。見てその価値がよくわからないものについて物語をかたることによって価値づけをおこなうことはある種不可避ではあろうが、美というものが物語の形式に何もかも還元されるとは思わない。言葉で説明できないことをただそれが存在するということとして肯定することができなくなっているような気配がいたるところに漂うような気がするのは私の錯覚だろうか。
マンガに目を転じると、それを美術として語ろうとしつつ実のところそれは作画および演出の技術の巧拙を語っているに過ぎないといったことが多々あるのではないか。マンガを美術として捉える作法というものは果たして元からなかったのだろうか。

そのへんの漫画に関する言説についてはきちんと見直してはいないが、もっと単純な例として、マンガを美術館に展示することはさまざまに試みられてきた。このあたりの問題をおそらく初めて一つにまとめた本が出ていた。先週見つけたのでまだ読み終えていないけれど、国際児童文学館の問題とも絡むであろうし、なるべく限られた読書時間の中で優先的に読むようにしたい。

マンガとミュージアムが出会うとき (ビジュアル文化シリーズ)

マンガとミュージアムが出会うとき (ビジュアル文化シリーズ)

昔の漫画を見るうえで、20世紀の絵画についてわかりやすい見通しを持った本がほしかったが、先日たまたま以下の新書を見つけた。

20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)

20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)

著者は惜しくも今年の5月に急逝されてしまったが、大した予備知識がなくても読み進めていくうちに20世紀の絵画について得るところはあると思う。
後者の新書には巻末に謝辞が載っていたが、その中にマンガ研究者としても活動しているジャクリーヌ・ベルント氏の名前があって驚いた。しかし本の後半は戦後の東欧の絵画を通して20世紀西洋の抽象絵画以降の流れを違う見かたを通して再検討するような内容になっていて、そのあたりの紹介に関与したのであろう。
ベルント氏には前者の本に先行する論考も書いている。そのほかにもマンガ研究に携わる者のさまざまな参考文献が載っており、最初の一冊として十分な価値があるだろうと思います。

beyond the free jazz

Eric Dolphyの貴重なソロが見られるYouTubeのおすすめビデオ。

Cecil Taylorのビデオは多分そんなに珍しいものではないけれど、
やっぱりこうして見てみると山下洋輔とは違う。
Taylorの本領は結局のところソロでもっとも発揮されるのではないかと
思うが、フリーのようであって実はフリーではないという感じは、
TaylorがDolphyやOrnette Colemanの同時代人というのか、たぶん
Coltraneなどとは基本的にアプローチが異なっているのではないかと思う。
特にTaylorにおいては鍵盤から手がぱっと離れて音が中断する無音の時間が
現れることこそがもっとも魅力的である。