戦後少女マンガ史復刊

昨年亡くなられた米沢嘉博さんのデビュー作で、代表作とも言うべき「戦後少女マンガ史」がちくま文庫で復刊されました。原著は出てすぐに品切れとなり、私は育った団地でこの本を何度も読み直したものの古書で手に入れるだけの執念を持たなかったのはこの本に紹介されている作品のかなりのものがやはり品切れとなっていて、作家と作品名だけ覚えてその後の展開に結びつかなかった点がありました。この本ではひょっとして二十四年組という言葉は使われていなかったかなと思いながら読み直したのですが、最後のまとめのほうで多用されていたので、やはりこの本が「二十四年組」という言葉を決定的に広めてしまったような気がするのですが、この本の前に出た「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」には使われていなかったかちょっと調べてみたいところです。

戦後少女マンガ史 (ちくま文庫)

戦後少女マンガ史 (ちくま文庫)

もともと1980年に出版されたものなので、30年近くのブランクがあるのですが、「手塚治虫はどこにいる」以上に歴史的な著作として、私のこのブログなどは読者がこの本を読んでいることを前提としているので、現在の少女マンガ状況とギャップがあるにしても絶対必読の一冊です。とりあえず読んでおかないと話にならないという本です。
この本の担当編集者は米沢氏と同郷で学校でも小学校でも高校まで先輩後輩だった藤本由香里さんで、担当編集者が解説を書くことは慣例にないと断りつつその因縁の深さゆえに解説を書いています。ある意味で追悼文ともとれるでしょう。
ただこの表紙については気持ちはわかるのですが一抹の危惧を抱きました。この本は「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」と並んで男性によって書かれた少女マンガ論の本との草分けとして、しかもそれ以降女性によって書かれた少女マンガ論の中でこれらに匹敵するような影響力を持った本がほとんど認識されなかったこともあって直ちに品切れ後復刊の可能性が見込めないまま著者が亡くなるという不幸によって復刊されたという点で特異な位置にあり、少女マンガに興味のないマンガ論者であれ必ず読むべき本なので、今回の表紙を書かれた高橋真琴さんも男性であるとしても、その偉大な業績を知らずその絵柄への偏見から手に取らなかったりすることがあるとまずいと思うので、とにかく見たら即決で買えとこの場で申し上げておきます。

原著1980年

戦後少女マンガ史 (1980年)

戦後少女マンガ史 (1980年)

(「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」1979年初版。検索したら発表年が違ったりしますが、こちらが先だったと思います)

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈後編〉

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈後編〉

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈前編〉

花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈前編〉

原著はかなりそっけない表紙といえるかもしれませんが(表示されませんね)、文庫版では後で確認された原著の細かい誤りがかなり改められています。

私がまだ住んでいる団地からほとんど外に出る機会がなかった中学生の頃、地元の図書館に行ってこの本の他に読んでいたのがジャズのレコードを集めまくった植草甚一スクラップブックの「ニュー・ロックの真実の世界」などだったこともあり、松岡正剛氏の「遊」やら阿木謙氏の「ロック・マガジン」やらとても買える値段でないと思いながらも立ち読みするような感じで、我々オタク第一世代なんか大したことがないとつくづく思うのですが、趣味を暴走させたようなとんでもない歩く百科事典のような人が活躍していたなあと思うのでした。

そんなわけで何度も読んで覚えたつもりでしたが、米沢氏の批評家の側面についてはあまり頭に入ってはいなかったようで、後に私語りと呼ばれてしまう面は70年代以降の漫画に関してはあるようにも思えます。

もう一冊手塚治虫論をまとめたの本が出たので立ち読みしたのですが(いや、今コミケに行く余裕もありません)、手塚治虫が死んでからマンガは面白くなくなったとちらりと書かれていたのを見つけて、ここはきちんと読み直してみないといけないかなとは思ったのですが、みなもと太郎氏が巻末解説で指摘していましたが、手塚がストーリーマンガに持ち込んだエロが今日に至るまでマンガに決定的に受け継がれてしまっているように思えてしまう点が興味深いところです。

手塚治虫マンガ論

手塚治虫マンガ論

そしてその解説のなかで、米沢氏は、戦後マンガ史三部作の「少女」、「SF」、「ギャグ」はそれぞれエロ・グロ・ナンセンスというテーマを隠していたのに誰も指摘する人がいなかったと言ったことを紹介していますが、これは私もお会いしたときに確かに聞きました。実は後者二作は図書館に置いていなかったのでいまだにぱらぱらめくっただけで読み損ねているのでそのへんはわからないのですが、後に「発禁本」を手がけることからも米沢さん自身にマンガの持つそうした部分へのこだわりが強かったことは確かで、それはまさに手塚治虫と直接対応する面を持っているでしょう。

そこで「戦後少女マンガ史」の副読本としては「腐女子マンガ体系」をやはり筆頭に挙げておくべきかと思います。

ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集=腐女子マンガ大系

ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集=腐女子マンガ大系

みなもと氏がやはり指摘しているのに、彼には単なる解説者ではなく批評家として主張したいことが明確にあるのにそれが全体の文章の中でほんの数行しか触れられていないということが多い、と言う面があって、「戦後少女マンガ史」についても注意すべきところです。それはどこかしら植草甚一のスタイルと似ているような気がします。生前に出された「藤子不二雄論」のように誰かがやっていていいのにしてなかった仕事をつい最近でもやっているのでそれがなかなか評判にならないところに問題があるのですが、最後に自分が久々に今回読み直して引っかかった部分をメモしておきたいと思います。
ひとつは水野英子が「ファイヤー!」を描いたあと沈黙期に入ってしまったことに関して、本文中ではいまひとつ論旨がつかみづらいのですが見出しには「敗北」と書かれているところ。それが問題だというのではなくて、牧美也子わたなべまさこに関する記載もなくなってしまいます。スーパーローズへのこだわりに対して、楳図かすおが70年代に描いた「洗礼」のような作品に触れられていない、という感じであっさりと世代交代で作家が入れ替わってしまったように書かれているあたりが、まさに少女マンガの歴史書として書かれているようで、そこには米沢氏の好みが意外とあっけらかんと表れていると思ったのでした。たとえば千明初美にけっこうページを割いているのは米沢氏の好みが入ってしまっているところでしょう(とはいえ私が80年代編としてこの続きを書くとしたらあきの香奈はその知名度にかかわらず間違いなく入れるでしょう。そこでなぜ入れなければならないのかをはっきりさせる必要は当然あるわけですが)。
また橋本治氏の著作の直後に書かれたせいもあるのでしょうが、米沢さんは倉多江美にはあまり興味がないんだなと改めて思いました。このへんは私が学習雑誌以後、倉多江美から少女マンガに入っていった経歴を持っているために、橋本氏の偏愛として片付けることが私にはできないところであり(橋本氏は少女マンガごと評論から離れてしまったので私の他にこう考えている人がいるかどうかもやや疑問ですが、この本が書かれた当時倉多江美は結婚を表明したことで話題になったことがあって、そこから邪推するに少女マンガ家と結婚という問題についてはそれがタブーであるように触れられていないのでは、という疑問が浮かびました)、そういうひっかかるところから米沢氏自身の批評家としてのスタンスはきちんと読み解く必要があると改めて感じさせられたのでした。

米沢氏のこの著作はどのような影響を後々に及ぼしているのか評判をあまり聞いたことがなく今ひとつ判然としません。大塚英志氏には少女マンガを扱った著作がありますが、私はあまり読んでみて感じ入ったものがなく、このへんは反論してくれる人がいるとよいのですが、宮台真司氏の「サブカルチャー神話解体」から大塚氏の仕事を見直してみるという方法はあるのかなと、これは思いつきです。文庫本になって上野千鶴子氏が解説をしていますがこの本が宮台氏の主著である、と言っていて、私自身もきちんと読み返してみたいものとしては筆頭に挙げていいように思います。

増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)

増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)