古本屋に漫画論の本を見に行った[lacoアーカイブズ]

呉智英氏の「現代マンガの全体像」は所有しているが、ここ十年以上読んでいないので、近くの古本屋に文庫を探しに行ったが見つからなかった。
石ノ森章太郎氏のマンガ家対談集である「漫画超進化論」が500円。過去に購入したと思うのだがたぶん読んでいないので買ってしまう。

小池和夫、藤子不二雄(A)、さいとうたかを手塚治虫とのインタビューが収められている。
手塚氏は胃の手術後のインタビューで、亡くなる1年足らず前のものだが、これは年下の石ノ森氏が相手だったこともあって本音でマンガとそれを巡る環境について忌憚なく語っており、批評としての切れ味ではここでの手塚を上回るマンガ評論家はどこにいるのかと思うほどだ。

(pp135-6)
手塚:なんといっても「漫画主義」の権堂晋さん、山根貞男さん、梶井純さん、故・石子順造さん、そういう年代の人が中心になっている評論というのは、どうしても全体のマンガに対するグローバルな評論でないから、半分以上劇画に対する恋文だな、ラブレターだなと思って読んでいる。(略)
石ノ森:(略)マンガ評論の是非みたいなことなんですが、評論をグローバルな視点でできるには、ある程度マンガを描いた人でないとだめなんじゃないかと思うんです。技術論も含めて広い視点で見られる人じゃないと、トータルな見方ができないんじゃないでしょうかと。
手塚:一番近いのは編集者でしょう。
石ノ森:編集者でいますかね。
手塚:いまは編集者の評論家はいっぱいいますよ。大阪の村上知彦さんがそうでしょ、それから飯田耕一郎さんとか……。
石ノ森:ただやっぱりさっき言われたような、視点の狭さがあると思うんです。恋文的な部分があると思うんです。自分の想いをマンガに託して語るというような。決して冷静な目で見ているとは思えないですけどね。
手塚:でもマンガ家が評論を書いても、非常に偏るんじゃないですか?

思わずつい最近読んでいた蓮實重彦氏とスガ秀実氏の対談を思い出してしまった(それは「知的放蕩論序説」)。

ちなみに村上知彦氏は知る人ぞ知る「漫金超(マンガゴールデンスーパーデラックス)」の編集をつとめ、1979年に評論集「黄昏通信(トワイライト・タイムス)」を出している。マンガ界の渋谷陽一的なポジションにいた。
この本についてはこちら。私は内容の記憶が薄れているが当時としては画期的なものだった。
http://www.geocities.jp/mandanatsusin/nihon014.htm

ちなみに文庫では増補され名前が変わっている。

村上氏と竹内オサム氏は平凡社から1989年に「マンガ批評体系」全4巻+別巻を出していて、これはマンガ研究を行う上で基本文献の一つ。

飯田耕一郎氏はマンガ家であり、たぶん「漫画エロジェニカ」の編集をしていたのでは?ネットで検索しても見つからなかったが、手塚氏はちゃんと読んでいたのだろう。*1
1980年に「耳のない兎へ」という三流劇画の評論集を北宋社から出した(橋本治さんの「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」を出した出版社)。ちなみに私はこの本のタイトルの元になったであろう「兎」という作品が載っているコミックスをかつて探し出して入手したが(なんとサイン本)、著者の名前を忘れてしまった。「耳のない兎へ」自体がGoogleで7件しかヒットせず、ロリコン美少女ブームによって三流劇画ムーブメントはかき消されてしまったのだが、後に能條純一氏がメジャーに進出するなど決して軽視はできないものである(余談ながら私は少女向けの貸本で読者の投稿の中に「のうじょうじゅんいち」の名前を神田の有名な古本屋で見た記憶がある。能條氏が三流劇画出身であることはファンによってネットで明らかにされており、私自身も幼少時少女マンガは好んで読んでいたので、特別なことではないとして記した)。
なお、米沢嘉博氏や夏目房之介氏や大塚英志氏も1980年頃は彼らの近傍にいたのである。

(pp139-140)
手塚:マンガ家というのは客観的な視野に立ちにくい。やっぱりどうしても主観が入ってしまう。主観が入るということは、子供じみているということです。無邪気なんです。シニカルに、じっと外部から見つめて批判するという訓練は大人でないとできないですよね。社会評論家、政治評論家は本来からいうと、体制、あるいは反体制にのめり込んでしまうとだめなんです。それすらも超越して、客観的な立場から批判しなければならないんだけど。それが今の日本ではできない。どちらかについてしまう。

私の世代が手塚に学んだものがあるとしたらこういう点ではないかと思いたいところだが実際はどうかとなるとなんとも心許ない。まあ世代というくくりをすること自体がここでは批判されるべきである。先行する世代のことはよくわからないが、私の場合両親が大人になってからではなく幼い頃に戦争を体験しているから、親から伝えられてきたものといえるかもしれない。先行する世代と後続の世代との世界認識のずれを調停できるかもしれない立場であるが、それを後の世代にメッセージとして伝えられるものかは今後の課題だろう。

さいとうたかを氏のインタビューでは、手塚の初期作品を外国の丸パクリみたいに思って評価しておらず、手塚の神格化が異様な感じで批判をしたら劇画工房の仲間からも偉そうだといびられた、なんてことが書かれていて、とにかく面白い。
引用し出すと終わらなくなるけれども必読といえるだろう。
女性作家についてはやや批判的なので、私の立場では擁護しなければならないが、それは後の機会に。

手塚も言及していた梶井純氏が寺田ヒロオ氏の歩みをたどったのが次の本。

トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道 (ちくまライブラリー)

トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道 (ちくまライブラリー)

未読だが、先の石森氏の本では、寺田ヒロオ氏はトキワ荘に来るまで手塚を全く知らなかったという藤子氏の証言がある。
トキワ荘グループの作風を見れば、手塚治虫から逸脱する点は明らかで、対談の中でも影響を受けていないどころかむしろ批判的なメンバーもいたとのことで、そりゃそうだろうと思うのだが、やはり「漫画少年」という雑誌についてもっとよく知るべきだと思う。

なお、梶井氏には戦時下のマンガ史を調べた以下の本がある。

戦前の漫画については清水勲氏や竹内オサム氏の著作があるが、いずれにしても、過去の作品については現在の価値観で軽々と判断すべきではなく、時代背景を詳しく調査する必要がある。そのためには証言をできるだけ多方面から集める必要がある。このような仕事は容易ではないから、そのような書籍の重要性は言い過ぎることはないだろう。
たとえば二上洋一氏の少女まんがの系譜のような本は、この本だけぱらぱらとめくってもなんだかよくわからないと言うことになりかねないが、私にとっては大変貴重な証言なのである。

*1:この勘ははずれたかもしれない。もしかしてCOM?