Memorial : Captain Beefheart

ブログにはマンガ関連の記事を書きたいと思いつつこのところほったらかしにしてきましたが、一応今年最後の記事を書こうと思いながら、昔の話を書くにしても、80年代の、ザ・マーガレット創刊の頃の別マ周辺の動きとか、ガロに女性作家が次々と活躍し始めて古参の読者には大変不評だったが漫画シーンの中では大きな革新をもたらしたこととか、おとめちっく系作家がレディースコミックへの進出するとかという、意外と語られていないような気がする持ちネタを使ってまとまった長さのものを書くには残念なことに時間がないので、前回の追悼記事の続きでお茶を濁そうかと思います。
単純にGoogleで検索しただけですが、Captain Beefheartの追悼記事がネットを通してけっこう見つかりました。日本ではTrout Mask Replica自体がニューウェーブ以降になってようやく国内盤がリリースされるような状況だったことを思うと、今でも日本での知名度は不当に低いような気がしますが、まあそんなものでしょう。

Ten Essential Captain Beefheart Songs - Rolling Stone Music
Rolling Stone誌は素っ気ないですね。選曲はツボを突いてはいますが押さえたとまではいえず、全体像を正しく伝えるものではないですね。Trout Mask Replicaの日本での知名度は昔から有名なこの雑誌のオールタイムベストアルバムランキングによるものでしょうから、日本に入ってくる情報を考えるとこんなものかもしれません。

Captain Beefheart: stars pay tribute to a musical maverick - guardian.co.uk
英Guardian誌。英国のほうが人気があったりしますかね。
Tom WaitsCaptain Beefheartについて語るのをちゃんと記事にしております。Frank3部作とかありますからね。なおリンクは明示しませんが、Tom Waitsの公式ページにも追悼のページがありました。 Wall Street Journalの記事へのリンクなどもあります。


Jon Savage takes a tour through Captain Beefheart's back catalogue
同じくGuardian誌のMusic Blogから。ファンとしてここまでしっかり書いてあるとうれしいです。英国ではTrout Mask Replicaばかりか次作のLick My Decals Off, Babyもそれなりにヒットしたんですね。
60年代後半になるまでアメリカで人気が出ず批評家の評判が悪くて受け入れられなかったジャズ・ミュージシャンがヨーロッパに活路を求めてそれらの記録が名盤になったりしていますが、ロックなどでも、前衛っぽいとアメリカでは受け入れられにくいという状況が70年代になっても続いていたのでしょうか。イギリスにおけるBBCラジオのDJを務めたJohn Peelの存在がいかに大きかったかも想像させられます。

Appreciation: Captain Beefheart - Pitchfork
PitchforkはTwitterを見ているうちにその名を知ったのですが、ネットではすでに有力なメディアになっているのでしょうか。
日本でも一時再評価のあったJohn FaheyがRevenantレーベルを興してCD5枚組のボックスセットGrow Finsを出したことや(日本でも発売されました。RevenantはたしかCecil Taylorトリオのカフェ・モンマルトルの1962年の演奏の記録なんかも出していた)やはり邦訳もされた評伝についても最初に書かれていて、全体的にとても詳しく書かれています。ボアダムスの名前まで引き合いに出されていて、90年代にこのあたりの音楽をいろいろ聴いていた人にとって充実した記事になっています。

とりあえずこれだけ紹介してももう十分すぎるほど充実しています。iTunesで過去の作品を探してみましたがあまり充実しておらず、詳しいファンサイトはネット上にあるものの、追悼における紹介としてこれだけの記事が見つかるのはいまのインターネットのすごいところだとあらためて感じました。

最後にちょっと話が変わりますが、Wikipediaを見に行くと、日本版の記事が英語の記事に比べて格段に貧弱なのがわかってしまいますが、これはCaptain Beefheartに限った話ではなくて、全体的に日本版の記事には比較すると貧弱なものが目立ちます。私も英語がほとんど話せないので致し方ない面はあると思いますが、ここで言いたいのはそれよりも、上に乗っているお願いのほうです。ウィキペディアは寄付を求めています。災害があるとTwitterのタイムライン上に寄付のメッセージが流れてきますが、ウィキペディアのようなボランティア活動への寄付について見ることはまずありません。私のブログはあくまでも趣味の延長で営利はほとんどなくてもいいのですが、ネットが広告モデルですべて足るとは考えていません。それどころかネットの広告はちょっとやり過ぎではないかと思うことが時々あります。そういうわけで、寄付ということに関してここで告知を入れました。Wikipediaのどのページに行ってもリンクがあるはずです。

追悼:キャプテン・ビーフハート

まだ訃報がTwitterに流れてきてからあまり時間が経っていないので、詳しいところは確認しておりませんが、キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリート氏が亡くなられたとの報せが入ってきました。慎んでご冥福をお祈りします。

いろいろとビデオを物色していますが、BBCの1997年制作のドキュメンタリーが追悼向けとしてもまとまっているので、リンクしておきます。*1

Part.1 ミュージシャンとしての出自とデビュー当初。以下に記した関係者のインタビュー。
http://video.google.com/videoplay?docid=3334015312098234689#

1997 BBC documentary on the life and times of Don Van Vliet, Captain Beefheart. Magic Band, Frank Zappa, Mothers of Invention, John Peel, Bruce Fowler, Eric Drew Feldman, Jimmy Carl Black, Doug Moon, John French, Ry Cooder, Matt Groening.

Part.2 アルバム代表作の Trout Mask Replica 発表から1970年代前半あたり
http://video.google.com/videoplay?docid=-5726343732691602449#

Part.3 旧友ザッパのバンドへのHot Rats以来の再参加から若手の敏腕ミュージシャンが集まったマジックバンド再編後の活動、そして音楽活動休止により画家の活動に専念へ
http://video.google.com/videoplay?docid=7280546938077609433#

まとまった追悼記事が出たらリンクしようと思っています。

*1:video.google.com掲載のものを貼り付けてますが、動画ツールにURLがうまく反映されないので手作業で直接コピーしています。

ここ最近読んでいる本など

このところ、最近あまり購入していないマンガの単行本をきちんと読む余裕がなく、雑誌は少女まんがと言ってもコーラスとフラワーズを毎月購入する以外は、別マを学生の頃から毎月続けているほかは別コミを買うくらいで、それも全体にきちんと目を通していないこともあり、どんどん場所を占拠する雑誌はどうしても持て余してしまってマンガ読者としての現役意識を失いつつあります。
戦前雑誌のマンガについては、一人で調べるにはどうしても限界を感じますが、幸い書誌情報の作成や整理などが進められているような噂を仄聴いているので、進展を期待しています。そして80年代少女雑誌については自分にとってはマンガ表現の興味の原点でありながらほとんど触れてこなかったので、個人的な体験が自分をマンガ読者としてどのように変えたのか、というところからはじめてこれまでに類例のないような、読者の個人史からはじまる80年代マンガ史のアウトラインをノートとして残しておきたいという気持ちがあります。

マンガ関係で、今年に入ってから読んでいる本の紹介がされぬままなので、とりあえずここで紹介してみます。とりあえず書影を。コメントは追記するつもりです。

キャラクターとは何か (ちくま新書)

キャラクターとは何か (ちくま新書)

この本は1月には手に入れたような気がしますが、どんな評を書くべきか悩んでそのままほったらかしになっています。あとがきの最後がちょっと異様で、もともとこのような本を書くつもりがなかったととれるので気になるわけです。

絵本の視覚表現―そのひろがりとはたらき

絵本の視覚表現―そのひろがりとはたらき

マンガ表現にアプローチするときにあらかじめ知っておきたいことが論じられています。

美術手帖 2010年 04月号 [雑誌]

美術手帖 2010年 04月号 [雑誌]

これは私の趣味。ただブルーナの色使いがマティスの影響から来ているとか、美術とデザインを考える上でいろいろな発見が。

ミラクルスケッチ ~中川翔子イラスト作品集

ミラクルスケッチ ~中川翔子イラスト作品集

オタク文化がたどり着いた一つの奇跡。楳図かずおとの関係に注目。

悪の反対は善か正義か

倫理学の本って難しい印象が強い、と言うより実際難しいけど、これはいいというものをようやく見つけた気がします。

Amazon倫理学のトップに来るのがフロムのこの本。
Amazonのジャンル分けには別に「倫理学入門」があるけど、笑えるほど混沌としています。

愛するということ

愛するということ

近代とはどんな時代だったのかがわかる快著って感じ。日本は江戸時代に到達したところに戻って行く、それがポストモダンで、これから近代に向かったりするのかもしれません。

倫理学がどんな学問なのか、概観できるという点ではこちらが一番まとまっている気がします。これぞ哲学の真髄という感じ。

現代倫理学

現代倫理学

倫理って何かって考えている内容の本は、倫理学というとっつきにくい言葉を避けがちですが、やっぱり難しいのは避け難い。でも事典となると高価なのでこれはとてもいいと思います。

新年おめでとうございます-10年代はじまる

昨年は思いがけずマンガの復刻などの出版が相次ぎました。

漫画少年版 ジャングル大帝

漫画少年版 ジャングル大帝

年末にいきなり出て、まったく予想していなかったためあたふたしました。詳しくは小学館クリエイティブのページをご覧ください。
昨年の暮れに豊島区立郷土資料館と豊島区立区民ひろば富士見台で催された『トキワ荘のヒーローたち』には最終日にかろうじて出かけて駆け足で見てきましたが、このときに初めてトキワ荘のあった場所を見てきました。

懐かしの少女夢ふろく (Journal labo)

懐かしの少女夢ふろく (Journal labo)

こちらもこういうものが出るのかとびっくり。少女クラブは私が生まれる前に休刊になってしまいましたが(入れ替わるようにアニメの『鉄腕アトム』がテレビ放映された)、収録された付録のラインナップがとても興味深いセレクションでした。

ところで私が幼少の頃には漫画は基本的に描かなくても小説のさし絵を主に活躍されていた人気作家がいました。全盛期の小学館の学習雑誌を読んでいて、そういう作家の絵柄が染みついています。

糸賀君子さんは端正で清楚な少女の絵柄でその筆頭に挙げられるでしょうが、いかんせん名前が覚えられていないためインターネットの検索では悲しいほどひっかかりません。戦後の『少女の友』から出た藤井千秋とは交流があったんじゃないかとにらんでいますが、少女まんがや少女小説のほうに影響力があったのかどうかすら判然としないありさまです。

これを書いている間、「糸賀君子 藤井千秋」で検索をかけたところ、岸田はるみ名義でも活動していたことが判明しました。こちらだとさらに名前を覚えられない。でも同一人物に違いないことが絵柄で確認できました。

私自身はこのあたりを知りたいものの、目下調べる余裕はありません。昭和30年代生まれだと絵を見たら懐かしいと思うでしょうけど。米沢嘉博さんが秋元文庫に注目する人がいたらいいのにと言っていたような記憶がありますが、もしかしたらあと数年のうちに再評価されるかもしれないような気がします。

大阪府立国際児童文学館の閉館とその後について

更新が滞りましたが、Twitterを始めてから、ブログに記事を書くのが面倒になってきたことを白状せねばなりません。ブログは本と同じで、書きたい人は星の数ほどあれど、読者の大多数は自分の生活の現実から一時的に離れるためのツールとして物語を読みたいのだろうし、そうでなくても自分の人生の役に立つ情報が欲しかったり世の中にものを申すきっかけを探していたりしているのであり、それで何か間違っていることなどありません。ただいろいろと書いていて、単に自己満足に終わるのは別にいいとしても、きちんと文章にまとめるにはそれなりに時間がかかって、そのための時間を割くのは最近ちょっとしんどい。これまでもテニオハや係り受けが間違っていようが思いついたままに文章を垂れ流す方法を続けてきました。
これからもマンガ関係の発信は、自分の中で熟成されてきたら出す、ということを続けるつもりですが、「はてなの壁」を超えないと思ったら別の場所を探すことになるでしょう。ココログにひとつブログを持っていますが、こちらも使いづらくて長らく更新していません。



ここから本題です。大阪府立国際児童文学館がこの27日に府立図書館への資料移転準備のため休館となりました。休館とはいうものの、資料を移すというのは事実上の閉館です。財団法人大阪国際児童文学館は当面存続しますが( ■ 当財団の今後の方向性について(ご報告 その5)http://www.iiclo.or.jp/hp/genjyo6.html )、閉鎖された施設を今後どうするのかについては未だに定まっておらず、迷走している感は否めません。

今この問題を書くことにあまり気が進まないのは、私自身の存続を訴える活動のやり方がとても愚かだったのではないかと忸怩たる思いがあるからです。意図のわからない悪意のようなものに過剰に反応してしまって対応を失敗した感じがします。意図がわからなくてもそれがあまりに子供じみたものであれば、問題の解決には何の役にも立たないものとして淡々としていればよかったのでしょう。世の中を見渡してみればそう悟れるものではありませんけど。

私のしたことは善意の愚かさに過ぎなかったのではなかったか、と思うのは考えすぎでしょうか。しかしネット上で誤解を招く言動も多い私は適任ではなかったかもしれません。

2000年代にアカデミズムの場で漫画研究を大きく前進させる役割を果たした一人である宮本大人さんは、長年漫画研究のために国際児童文学館と深く関わりを持っていた立場からブログで存続をいち早く訴えましたが、ここから先はあくまでも私の想像で言いますので、間違っていたら申し訳ありませんけれど、存続活動を進めるうちにどう動いても事態がかえって悪くなることに疑念を感じるようになり、どこかで譲歩することで打開できないかといろいろ考えたのでしょうが、結局問題に関係するどのような情報も地道に収集しながら発信は最小限に限って沈黙を選ぶようになったと思います。宮本さんとはマンガ学会でお会いしたときなどにこの問題に関して多少言葉を交わしました。

その宮本さんがこれまでの顛末を整理したエントリを29日に記しています。
 http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20091229/1262063514

いまさらわたしがこれに特に付け加えることもないでしょう。新聞記事が関西向けにとどまっているか全国向けなのかが多少気になる程度ですが、これまでこの問題はマスコミでも関西から離れた場所ではあまり報じられていなかったような気がするものの、実際はよくわかりません(東京でも関西で制作されたニュース番組が放映されておりますし)。ジャーナリズムと言ってもその程度の理解でしかないのか、と言ってもそれは発信手段を持つ自分自身に返ってくることでもあります。

なので、自戒の念を込めて、と言い、これからのささやかな問題提起をもってこのエントリが締めくくられていることに対して、年末でもあるので、もう一度考えておきたいと思います。

あと、私は宮本さんのエントリにはてなブックマークをつけましたが、情報伝達の手段としてのはてブの限界は相当前から感じていたことで、エントリが本当に見て欲しい見知らぬ人に伝わるという期待がほとんどできないのです。

はてなの使い道として同じキーワードからこの問題に言及する別のブログやニュースを見つけることができます。のりみ通信さんのレポートは宮本さんの記事からたどれますので、あとはエル・ライブラリーさんのレポートを紹介しておきたいと思います。(実際にお会いしておりませんが、どうもありがとうございます)

大阪府立国際児童文学館、最後の開館日
http://d.hatena.ne.jp/l-library/20091228/1261966987

関西の全テレビ局が取材にきたとのことです。将来に禍根を残す、と書かれているのが別に脅し文句なんかではないことは、この事件における金額では算定困難な損失に思いを馳せられる人々にしか感じられないのかもしれません。まあそれは私の妄想かもしれませんけど、それでもこの事件は多くの人の想像を超えて、忘れ去られることなく後世に長く語り継がれることになるでしょう。

(参考)大阪府立国際児童文学館、大阪府立中央図書館、京都国際マンガミュージアム、エル・ライブラリーに行ってきました
http://d.hatena.ne.jp/literarymuseum/20091217/p1

私はアカデミズムの人間ではありませんが、素人の漫画研究が高じて戦前雑誌の調査のため大阪府立国際児童文学館にはこの二年間ほど何回もお世話になりました。閉館前に直接ご挨拶ができなくて残念でしたがこれからも応援を続けたいと思います。

大阪府立国際児童文学館のみなさま、本当にありがとうございました。

メモ:矢代まさこの「ようこシリーズ」について

矢代まさこの「ようこシリーズ」については、米沢嘉博さんの「戦後少女マンガ史」の中でも重要な位置づけがされており、最近ではみなもと太郎先生が大塚英志さんに『新現実』の中でレクチャーをしていましたが、貸本マンガのシリーズのため、私は今まで見る機会を持っていまませんでした。貸本少女マンガ自体をそれほど読んでいないわけで、位置づけには慎重であるべきですが、『少女クラブ』で行われていたマンガの実験をさらに一歩進めて、萩尾望都樹村みのりの実験性へと橋渡しをした可能性が十分に窺えました。
新城さちこから影響を受けたといわれていますが、こちらは読んだことがありません。しかしデビュー当初は新城が作品を描いていた金園社から作品を出しており、コマの中に間白つきで別のコマを入れ子にするなど物語を効果的に演出する巧みなコマ割りは当時の水準としては相当洗練された完成度の高いもののような気がします。
若木書房に移ってしばらくしてから「ようこシリーズ」を月一回のペースで刊行する試みを始めます。貸本で個人シリーズを手がけるのは非常に人気があったからか、そこまでは断言できませんが、次回予告のページを見ると作家にとっても野心的な試みだと意識していたと思われます。
このシリーズを読み進めるうちに明らかな変化が現れるのは読者のページです。もともとは当時の貸本では一般的だったと思われる、読者の描いた似顔絵と作者の近況や楽屋落ちとかつぶやきで構成され、貸本出版についても私はまったくうといのですが、投書のあて先が漫画家自身の住所という時代であり、漫画家自身が編集を手がけていたのではないかと思われます。このページはだいたい一冊の本の中ほどに設けてあり、前編と後編の合間として、似顔絵のほかには軽いギャグをはさんだりしていたのですが(まあお茶でもどうぞ、みたいな)、だんだん似顔絵の投稿に男子が増えてきて半数に近くなることもあり、やがてシリーズ前作の感想の欄の中に辛辣な批評が現れるようになります。矢代さんはこうした批判なども採り入れて応答のコメントを書くようになります。これがもし雑誌連載だったらこうした変化が起こっただろうか、当時の雑誌を見てみたいところですが、複数の執筆陣を抱えているとちょっとこうはいかないような気がします。
矢代さんの絵柄は堅実で力強さもあり、高橋真琴登場の後に女性作家たちが独自に開拓した修辞法、モノローグや飾り花などさまざまな手法を手堅く使いながら、ちばてつやの優れたストーリーテリングおよびキャラクターの魅力と石森章太郎の構成力や大胆な表現手法といった双方の作風の長所をいいとこ取りしたかのような幅広いテーマをこなせる作風は当時の男子読者をも熱中させたことは想像に難くありません(ちなみに少女マンガ家は背景を描く能力に劣るとよく言われてきましたが、巧拙に男女差はなくて、人気作家が専門のアシスタントを雇えば違いが出てくるものです)。そういえば少女漫画ブームよりもはるかに前に、男の子が少女雑誌を買って読むのと貸本を借りるのとではどちらが楽だったのでしょうか。女きょうだいがいないとどちらも厳しそうですが、貸本のほうが男子にとってはハードルが低かったということはないでしょうか。
以上かなり憶測があるのでメモとしますが、ある意味でCOMを先取りしていたような、あるいは内山基時代の『少女の友』の作り手と読者との本音のコミュニケーションが貸本という媒体で試みられていたことの実例を見てとても感動した次第でありました。表現自体についても、いま読んでもこれはすごいな、と思うものがありました。
矢代さんはCOMを経て70年代には主要な少年雑誌にも作品を掲載しており(青年誌ではなく)、そんなところもマンガ史上に異彩を放っています。

参考:Wikipedia日本版での記載
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%93