メモ:矢代まさこの「ようこシリーズ」について

矢代まさこの「ようこシリーズ」については、米沢嘉博さんの「戦後少女マンガ史」の中でも重要な位置づけがされており、最近ではみなもと太郎先生が大塚英志さんに『新現実』の中でレクチャーをしていましたが、貸本マンガのシリーズのため、私は今まで見る機会を持っていまませんでした。貸本少女マンガ自体をそれほど読んでいないわけで、位置づけには慎重であるべきですが、『少女クラブ』で行われていたマンガの実験をさらに一歩進めて、萩尾望都樹村みのりの実験性へと橋渡しをした可能性が十分に窺えました。
新城さちこから影響を受けたといわれていますが、こちらは読んだことがありません。しかしデビュー当初は新城が作品を描いていた金園社から作品を出しており、コマの中に間白つきで別のコマを入れ子にするなど物語を効果的に演出する巧みなコマ割りは当時の水準としては相当洗練された完成度の高いもののような気がします。
若木書房に移ってしばらくしてから「ようこシリーズ」を月一回のペースで刊行する試みを始めます。貸本で個人シリーズを手がけるのは非常に人気があったからか、そこまでは断言できませんが、次回予告のページを見ると作家にとっても野心的な試みだと意識していたと思われます。
このシリーズを読み進めるうちに明らかな変化が現れるのは読者のページです。もともとは当時の貸本では一般的だったと思われる、読者の描いた似顔絵と作者の近況や楽屋落ちとかつぶやきで構成され、貸本出版についても私はまったくうといのですが、投書のあて先が漫画家自身の住所という時代であり、漫画家自身が編集を手がけていたのではないかと思われます。このページはだいたい一冊の本の中ほどに設けてあり、前編と後編の合間として、似顔絵のほかには軽いギャグをはさんだりしていたのですが(まあお茶でもどうぞ、みたいな)、だんだん似顔絵の投稿に男子が増えてきて半数に近くなることもあり、やがてシリーズ前作の感想の欄の中に辛辣な批評が現れるようになります。矢代さんはこうした批判なども採り入れて応答のコメントを書くようになります。これがもし雑誌連載だったらこうした変化が起こっただろうか、当時の雑誌を見てみたいところですが、複数の執筆陣を抱えているとちょっとこうはいかないような気がします。
矢代さんの絵柄は堅実で力強さもあり、高橋真琴登場の後に女性作家たちが独自に開拓した修辞法、モノローグや飾り花などさまざまな手法を手堅く使いながら、ちばてつやの優れたストーリーテリングおよびキャラクターの魅力と石森章太郎の構成力や大胆な表現手法といった双方の作風の長所をいいとこ取りしたかのような幅広いテーマをこなせる作風は当時の男子読者をも熱中させたことは想像に難くありません(ちなみに少女マンガ家は背景を描く能力に劣るとよく言われてきましたが、巧拙に男女差はなくて、人気作家が専門のアシスタントを雇えば違いが出てくるものです)。そういえば少女漫画ブームよりもはるかに前に、男の子が少女雑誌を買って読むのと貸本を借りるのとではどちらが楽だったのでしょうか。女きょうだいがいないとどちらも厳しそうですが、貸本のほうが男子にとってはハードルが低かったということはないでしょうか。
以上かなり憶測があるのでメモとしますが、ある意味でCOMを先取りしていたような、あるいは内山基時代の『少女の友』の作り手と読者との本音のコミュニケーションが貸本という媒体で試みられていたことの実例を見てとても感動した次第でありました。表現自体についても、いま読んでもこれはすごいな、と思うものがありました。
矢代さんはCOMを経て70年代には主要な少年雑誌にも作品を掲載しており(青年誌ではなく)、そんなところもマンガ史上に異彩を放っています。

参考:Wikipedia日本版での記載
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%93