万博症とはなんだ(ノートの一)[lacoアーカイブズ]

長年マンガ読みを続けて感じてきたのは、「世代」によるギャップが思いのほか大きいということだ。それはマンガを読み始める時期が自分の場合だと幼稚園からで、大学までほぼ同年代とばかり交際する面がマンガ体験を世代的なものにしているからではないかと思う。
もちろん世代を超えて愛される作品も数多くあるが、そのようなものはどこか大衆離れしている面があるようだ。
前回1960年以後(昭和30年代後半)の書き手に親近感を覚えると書いたが、マルクス主義の影響を強く受けた団塊の世代から、反発を覚える世代へと徐々に変わって、そして1960年生まれ以降あたりからはマルクスの影響は影を潜め、代わりに心理学的な指向が強まったような感じがする。高校ぐらいにはユングが流行っていたようだ。
あくまでも個人的な印象だが、「ノストラダムスの大予言」や「日本沈没」が昭和30年代後半の同年代はトラウマになっているような気がする。そもそも「ウルトラQ」以降「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」までの円谷プロ作品を原体験として持っており、その怪獣や宇宙人の造形は万博会場のイメージによくマッチするものだ。このへんは椹木野衣氏の著作を読むとわかりやすくなると思うが、幼時に体験した万博とその周辺で起きていたさまざまな社会的事件が私とその同年代にとってはオブセッションとなっている感じがするのだ。
椹木氏の岡崎京子論には私は違和感があって、それは私の岡崎作品への興味が一般に評価の高い作品からずれているせいもあるが(私のベストは「万事快調」。「ジオラマボーイ パノラマガール」や「セカンドバージン」が好きで、特に高く評価されている作品は過大評価だと思っている。安野モヨコさんのほうが才能あるよねと岡崎さんに言ったら同意してもらえるんじゃないか)、岡崎さんが事故にあって椹木さんが万博症を発症した、という感じがするのだ(ちなみに岡崎さんが事故に遭う直前に書かれている作品は非常に暗いというか、鬱っぽいものが多い)。エヴァについてもぼくが伝え聞いた範囲で言えば、最後に実験作品にしてしまっても全然OKなんじゃないとすら思うので、あのころの喧々囂々に対しては冷ややかに見ていたクチだけど(あの「イカス」マクロスの最終回のよれよれぶりとかナウシカのラストのへたれぶりとかに比べれば気が利いていると思わん?)、庵野氏が万博症を発症した、ということにしておきたい。