少女の友昭和13年1月号復刻をめぐって

『少女の友』創刊100周年記念号に続いて、内山基が主筆になって中原淳一が作った付録と、『少女の友』昭和13年1月新年号の復刻版をまとめたセットが段ボールに包まれて現在書店にも並んでいますが、14000円とかなり値が張るのでルミネ10%OFFの機会に注文していたのを購入。
昭和13年は1938年なのでちょうど70年前の雑誌の復刻になります。

『少女の友』中原淳一 昭和の付録 お宝セット

『少女の友』中原淳一 昭和の付録 お宝セット

この時期は講談社を中心として雑誌の競争が激しく、たしか部数もこの頃にピークを迎えていると思います。総ページ数は350ページでページ数が減るのはこの3年後くらいからではないかと思います。この時代はふろく競争では『少女の友』が他誌を大きくリードしており、この号の二つのふろくのうち、中原淳一のもっとも有名なふろくといってよいフラワーゲームがセットにも復刻されました。
ふろくが毎号つくようになったのは大正末または昭和になってからではないかと思われますが、新年号の定番ふろくであった双六がこの復刻号には含まれていません。ふろくとしてはすでに見劣りすると思われたのかもしれません。ふろくの豪華さが『少女の友』の評判を高めたのはまず疑い難いところで、その後の少女雑誌がふろくを売りにして現在に至るのも『少女の友』以来の伝統と考えられます。
ふろくといえば『少年倶楽部』の昭和7年頃の豪華組み立てふろくも伝説となっていますが、こちらは私が記憶する限りで小学館学年誌にかろうじて受け継がれていた記憶があります。『少女の友』の凝ったふろく作りは少なくとも90年代まで『りぼん』にも受け継がれてきたのですが、21世紀に入って購読をやめてしまったので最近の『りぼん』のふろくがどうなっているのかあまりよくわかりません。
なお、『りぼん』はすでに創刊50周年を過ぎていると思いますが、戦前に存在した幼年誌が戦後男女別に分かれた位置づけでの創刊と考えられるので、「少女雑誌」として50年というべきか迷うところがあります。

戦前の『少女の友』がどのくらい特異な雑誌であったのかについては自分も十分に調べる時間も取れずここで十分に説明する余裕がないのですが、『少女倶楽部』とはまるで異質な雑誌であったとは言えます。この復刻号にも戦時下らしい記事が載っていますが、内山主筆が細心の注意を払ってある種の中立性を保とうとしていたことが窺われます。ただ一見してそれがわかるかどうかはかなり微妙。なにしろ比べるものが容易に手に入るわけでもないので。とはいえこの一冊だけでも手元にあると戦前の少女雑誌の実物がじつはどのようなものだったか直に判るのはやはり貴重です。

それが最も明確な形でわかるのは昭和15年の紀元二千六百年記念の新年号で、『少女倶楽部』が祝賀ムードに染まっているのに対して『少女の友』のほうは雑誌全体に沈鬱なムードが漂っているのですが、これは前年の9月1日にポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発したことに端を発しています。これからの日本と東アジアが戦争によって被る過酷な運命がこの時点で予見されていたところに『少女の友』という雑誌の特異性がはっきりと現れているのです。

私は歴史家とは言えないのでマンガ史を戦前にさかのぼってまで調べてはいますが史料をどう扱うべきかというような問題については実のところ相当に迷っています。しかしビートルズが神話となった時代に育ちそれ以前のポピュラーミュージックの歴史が見えなくなっていることを高校のころから意識し始めた体験を持つ者として、手塚治虫の扱われ方に強烈な違和感を覚えたことが戦前雑誌の調査へのめりこむきっかけになったのは確かです。

そのへんで最近また書店に行って気になった本をピックアップしてきました。

歴史学 (ヒューマニティーズ)

歴史学 (ヒューマニティーズ)

前回のエントリでひっかかっていましたが、著者がこれまでに歩んだ道と著作についても改めて一冊の本にまとめてあり、とりあえず疑念のほうが晴れるとともに歴史学やメディア論の難しさを素人なりに考えさせられました。雑誌の総発行部数のピークはなんと昭和15〜16年とのこと。
このシリーズは「哲学」と一緒に刊行されましたが、全11巻が出版される予定。

清沢洌―外交評論の運命 (中公新書)

清沢洌―外交評論の運命 (中公新書)

本屋の中公文庫のフェアの中で自分に買えと誘いかけてきた本。2004年の増補版で推薦文は政治学者の井上寿一氏。
『少女の友』と内山基の特異性についてヒントが得られるのではないかと思いながら勘で買ってみたものの、言論人というよりは有能な出版人であった内山が最後には自らの持ち味であるだろう諧謔性を奪われ戦禍に屈服させられながら昭和20年9月号まで主筆の仕事を全うした戦争末期の号を読みこまないとわからないことがあり、現在それを調査できる余裕もないため、いまのところ参考程度でほとんど未読。