女学生文化、ポストおとめチックとケータイ小説

夏休みの帰省とシーズンと重なるためどうしようか迷っていたけれども終末に京都、大阪まで遠征。
京都マンガミュージアムでは少女マンガパワー展の開催とともに、大正13年〜14年に「時事新報」に連載された
日本で女性を主人公とした最初の作品という長崎抜天の「ひとり娘のひね子さん」の展示が明日12日までだったので、
これを見に行きました。少女マンガパワー展は北米を巡回した展示が好評だったために日本での展示が実現できた
と言ってもよく、日本でこのような企画を立ててもその価値を認めるエライ人が日本にはほとんどいないので企画が
通る可能性はまずないだろうというような実は貴重な展示会といえます。
抜天の師匠である北沢楽天が昭和のはじめに「とんだはね子嬢」という連載をしていたことは清水勲氏の研究によって
年表にも載って知られていますが、「ひとり娘のひね子さん」という作品の存在は今回始めて公開されたのでは
ないでしょうか、良家に暮らす女学生が主人公の2段タテ進行4コマの作品で、時事ネタを扱ってはおりますが
途中にはひね子さんが海水浴を楽しみに出かける回があり、主人公のひね子さんもオリンピック選手をモデルにした
はね子嬢と比較するとちょっと深窓の令嬢という風情があり、つげ義春が描いた美少女と雰囲気が似ています。

大正から昭和初期の少女文化がわれわれが想像するよりもはるかに発達していたことは自分でも調べてみて驚いた
ところです。ちょっと時代を下って吉屋信子が活躍して宝塚ブームに沸いていた昭和7年の少女雑誌に載っていた
「最新女学生言葉」からちょっと引いてみると(解説の言葉は私が少し変えています)


「悪く思うなよ」 ゲーリー・クーパーが映画の中で吐いた決めのセリフが流行したようだ
「アミ」フランス語で友達の意味から、仲良しを指す
「モチよ」もちろんよ
「ヅラカル」すっぽかされて逃げられてしまうこと。実際の使い方はたぶん戦後も変わっていないでしょう
「センチ」戦後もずっと使われているので説明の必要はないでしょう
「意味ない」「デマ」「ジャンジャン」このあたりも当時流行語だったのが定着して現在まで残っているのでしょう


山の手の婦人ががザアマス言葉(「あそばせ」も山の手言葉、ともに丁寧語)を使い始めたのは明治時代ということで
今では死語になっていますが自分が子どもの頃までは確かに残っていましたから、日本語の乱れを問題にする人が
昔から延々と絶えませんけれど、流行語は定着して一般化してしまうことも珍しくなくなかなか侮れません。


遠征中に、気になっていた速水健朗ケータイ小説的。−”再ヤンキー化”時代の少女たち」を手に入れて
読みましたが、これはやられたな、と感心。
米光一成氏がケータイ小説の特徴が『小説ジュニア』に掲載された小説とよく似ていると指摘していることも
この本に載っていますが、紡木たくがブームになった80年代の少女マンガの新人作家は70年代おとめチック独特の
言葉遣い(ザアマス言葉のようなものといえるか)を脱して女子校話体を使うようになり、その中から
特に絵柄が目立って不良少女系として注目され大塚英志氏などが画期的と呼んだのが紡木たくのマンガでした。
しかしデビューしても連載まで続かなかった作家が描いた多くのマンガの中には、まだヤンキーとして描かれない
リアル女子中高生の隠れヤンキー的なメンタリティを描いたものがかなりあったと思います。
この辺はきちんと見直してみたいと思っているところなのですが、80年代のプレコギャル的な
ギャルズライフやポップティーンが社会問題視された時期に紡木が登場したのは偶然ではないです。
一方で岡崎京子のようなスタイルの作家も決して彼女が特別というわけではなく普通の少女マンガ雑誌からも
出て来たんですけど、少女マンガ雑誌の側でうまく取り込めずに後に青年誌で再デビューしたりしました。

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち