赤塚不二夫文化圏について

タモリさんが赤塚不二夫さんの告別式で生まれて初めて読んだという弔辞がはてなブックマークでものすごく話題になって驚いておりますが、自分が芸人のデビューで一番はっきりと覚えているのがまさにタモリでありました。いまの漫才はツービート+B&B以降のスタイル(なんと私は就職してから毎日残業でテレビを見る暇がなくてダウンタウンの全盛期をまったく見ていない)で、吉本のエンタツアチャコのスタイルがそのまま続いてきたように思えるのですが、東京ではたぶんタモリのほうが少し早くデビューして、「イグアナ」とか「4ヶ国親善麻雀」といった芸はものすごいインパクトがありました。自分がテレビで見たギャグの中では、林家三平とコント55号、デビュー当時のタモリの三人がユニークさで群を抜いていたと思っています。伝説のエノケンからの流れっていまの芸人は研究しているんですかね?下手すると今後もこの三人を越える芸人は出てこないんじゃないかって思う私はものすごく少数派なのでしょうが、理屈と人情を抜いた笑いのほうが断然好きなんですよ。
タモリ赤塚不二夫の出会いは山下洋輔トリオからの人脈を通じたものだったようで、タモリ植草甚一の収集したレコードのコレクションを受け継いだという話はずいぶん前から知っていました。山下洋輔トリオからは筒井康隆にも通じていましたっけ。ロックを聞いていた頃にも山下トリオやハナモゲラ語を生み出した坂田明には興味を惹かれて「寿限無」とか毎日聞いていた時期がありました(再発されませんね)。私にとって赤塚不二夫の影響はこちらからが大きかったようです。生まれつき前衛が好きな体質なのか「天才バカボン」のいろいろな掟破りにあんまり驚かなかったというか失礼な言い方をすると子供だましっぽい感じがして、赤塚さんの本領はやはりキャラにあるんじゃないかと思いますが、タモリはたしかに赤塚の生んだ最高の作品のひとつになったのかもしれません。

追悼のため、封印してあったブログから赤塚先生関連の記事を探し出して改めて再録しました。

http://d.hatena.ne.jp/lacopen/20050613
奥成達氏はサザエさんのパロディ事件で長谷川町子さんに訴えられたことで知られていますが、その一方で「天才バカボン」の文藝春秋漫画賞受賞を一番強く推薦したのが長谷川さんだったとのこと。赤塚氏が長谷川さんを「戦後最大の漫画家」と称えたエピソードは武居氏の本にも書かれています。」

http://d.hatena.ne.jp/lacopen/20051031
「赤塚マンガが杉浦茂さんのセンスを自らのスタイルに取り込んだとすれば、たとえば「ねじ式」は水木しげる天才バカボンという見方もできるんじゃないかって思ったりしたのでした」