児童文学館は大阪の貴重な資源

ちょっと疲れが抜けなくて間が空きました。
以前閲覧室に資料調査に行った時のこと。
お父さんと息子さんが、お父さんが子どもの頃の少年雑誌を見ながら語り合っているのを見ました。親子のコミュニケーションに一役買っているというわけです。落ち着いた環境の中にある児童資料専用の閲覧室でその道のエキスパートである館員さんからアドバイスが受けられる貴重な場所なのです。

ところで廃止の理由として次のような理由が挙げられています。

・年間入場者の多い中央図書館の中で事業を実施するほうが、多くの府民に提供しうる
・中央図書館へ移転することにより、運営の効率化が図れる

資料の性質からいって、ここで提供と書いているのは貸出にはならず(一階の子ども室にある資料は別ですが)、
閲覧のみになりますが(それともまさか貸出対象にするのでしょうか。国会図書館にすら存在しない資料も多く、
無理でしょう)、
入場者の多い場所だから多くの人が閲覧できるということにはならないでしょう。入館する人の目的が通常は異なるからです。

上野の国際子ども図書館国際児童文学館にならって専用の閲覧室を設けています。日本近代文学館の閲覧室も同様です。
収集保管と閲覧を両立させるには小さな閉じた部屋を閲覧するスペースにするほうが管理が楽になり
利用者が多くの資料を一度に閲覧する便宜も図れます。

次に、統合によって国際児童文学館が所蔵してきた資料について運営の効率化が図れるという理由もよくわかりません。
国際児童文学館に来る人はたいてい明確な目的を持っており、一日に十冊以上の資料をまとめて閲覧することも珍しくは
ありません。規模の大きい図書館では書庫から探し出して閲覧するまでの時間がむしろ増えてその分時間コストが
余分にかかるでしょう。
日本中でも他にない特色を持つ文学館として運営されていることで可能となっていた国際児童文学館への寄贈や寄付金は
公立図書館への統合によって望めなくなる可能性が大です。統合した場合のデザインについて何も伝わっていませんので、
実績がないと無理でしょう。

廃館と共にまず長年の運営の中で蓄積されてきた無形資産としての価値が失われると思います。
児童文化に関して日本一の施設をつぶすというのですから、紙芝居や赤本のような大阪で育った文化、および自国の文化への
無知をさらけ出すことになり、これは「維新」という言葉とうらはらに「国際都市」を掲げる大阪のイメージを
大きく損なう危険をはらんでいます。
国際児童文学館の廃館案は大阪維新プログラム案が掲げている目標とはまるで反対方向を向いているようです。
大阪ミュージアム構想を掲げるのであればまず国際児童文学館を位置づけることこそが考えられてしかるべきではないでしょうか。

ちょっといまきちんと構成して文章に書いていないので、まだいろいろ書きたいこともありますがパブコメとするにはもっと全体をブラッシュアップする必要があります。とりあえず私はいまこのように考えています。