昨年のベストは「汽車旅行」の復刻

もう一冊これは必読というか、昨年出た本の中でもっとも重要な一冊は、大城のぼる「汽車旅行」だと思います。これはすでに三一書房の少年小説大系別巻1に収められてはいましたが、今回同じ著者の「愉快な鉄工所」も出版されるという快挙となりました。「火星探検」もカラー版が出て、初期の「愉快な探検隊」は三一書房の少年小説大系に収められているので、できれば戦後の「少女白菊」まで出して欲しいところ。
もともと「火星探検」が世評高く、「愉快な鉄工所」が今の読者が普通に読んで一番面白いと思いますが、表現論的関心で読むならば「汽車旅行」は群を抜いていると思います。これを読んで古いとか単調とか思うとしたらマンガ論にはあんまり向いていないかもしれないです。マンガファンの多くは現実の生活から離れた異世界のファンタジーを志向してその物語世界を楽しみたいのでしょうが、「汽車旅行」はそこからもっとも遠く離れたところにあります。東京から京都へ汽車に乗って、その折々の通過点で主人公の少年に父親や大人たちがその地にちなんだエピソードを話すシンプルな展開の中に、今のマンガではほとんど見ることのできないような手法を含めたさまざまな趣向が凝らされ(たとえば車内に登場する数多くの端役の描き方において、時に合の手を打つがごとく台詞を話すほど巧妙です)、絶妙な緻密さで細心の注意を払って構成されています。後に石森章太郎が少女クラブでマンガの中で作者が読者に物語を語り聞かせるといった形式の作品を描いていますが、その起源に「汽車旅行」があるかもしれません。というのも、うろ覚えの石森伝説の中にコマの数を増やすために一つの場面をコマ線で分割したという話があったと思ったのですが(なぜコマの数を増やす必要があったのか覚えていないのでかなりうろ覚えです)、そのような手法が「汽車旅行」のなかにすでに現れていて、後の展開に対して重要な位置を占めているのです。

私が読んできたすぐれたマンガの中にはそれ自体があたかもマンガ論のように読めてしまうものが時々ありますが、「汽車旅行」はそんな作品で、「スピード太郎」が「新宝島」の先駆けだったと長らく言われてきたといっても、実物を読めばすぐわかりますがコマ割りなどあまりこなれていなくて、発表年代は離れているものの大城の作品の進化とその達成はプレ手塚の位置づけからはみ出してしまうほど別の可能性すらはらんだ次元の違うものだと思えます。それだけに漫画史の中でどう位置づけるのかは慎重でなければならないと思いますが、このへんは宮本大人氏が長年手がけてきた領域なので、私としては論文を待つばかりです。

私自身はニッチなマンガ読みなので80年代後半とか昭和30年代とか手薄なところ、特に今の読者の感覚では古いとうち捨てられがちで渾沌としているところに興味を持って欲しいという気持ちがあるのと、映画に限らず児童書など隣接領域を見てほしい気がします。「テヅカ・イズ・デッド」では竹内オサムさんや二上洋一さんが批判の対象になっていましたが、彼らの地道な戦前児童文化の研究をマンガ読みがどれほど読んでいるのか疑問であるし、先行の世代の証言がなければ手がかりが得られないことも多いでしょう。マンガにおける世代差の問題はもっと意識すべきで、世代間の対話がもっと起こるべきだし、またあまり悠長ではいられないと思います。
自分はいま余裕がなくてとにかくいまある本の整理だけで手いっぱいなので本が増えると鬱なのですが、ネット上に若い野心的な論客が増えてきたらしいことは頼もしく思っています。

海外マンガもスピーゲルマンとか手に入れてませんが、ペルセポリスが話題になるなど好調だったのかなと思います。古典であるLittle Nemoは洋書でそこそこの値段なので一度よんでおくべきかな。Jimmy Corriganとか日本語訳もほとんど困難と思われますがこんなアメリカン・コミックもあるんだと知るのもいいんじゃないかとは思うのですが。