余は如何にしてをたくになりしか[lacoアーカイブズ]

竹熊さんのページで死後のコレクションをどうするかという話題がありましたが、あたしゃあんな有名サイトにトラックバックはようしません。ですがまず自分の場合だと、コレクターという意識ではなくて単に愛着が出てしまって捨てられないから増えただけでして、私の知る限りでは元ヲタで結婚された方はその際に思い切って処分してしまうほうが圧倒的に多いようです。とはいいながらどうしても捨てられないものが多少は残るようですね。相手の女性にそのへんの寛容さがまったくないとたぶん結婚まで行き着けません(それ以前につきあえないだろう)。
ではなぜ捨てられなくなったかというと、小学館の学習雑誌をあっさり捨てられたのが原因です(おいおい)。これは小学六年生に限りますが、御厨さと美六田登中山蛙などが読者ページをやっておりまして、今30代のりぼんっこなら「みーやんのとんでもケチャップ」みたいなのを覚えているでしょうが、あんなもんじゃなかった。後にビックリハウスや(あまり読んでいない)岡崎京子さんが投稿していたポンプみたいな投稿誌が現れましたが、そのルーツみたいな読者ページ(私が読んでいた時は「ハロー6ワイドショー」って名前だったと思う)があったんですな。その当時は小学館の学習雑誌が最高に売れた時期で、六年生だけじゃなくて(私も五年生でしたが)もっと年上の人の投稿があったり、全部で16〜24ページくらいあったような気がします。ああいう誌上コミケみたいなページができたのはいつ頃からなのだろうかとちょっと気になっていますが、自分の弟の時ももっとページ数はかなり縮小はされながら早稲田漫系のマンガ家の卵のような人がやっていましたけど、おたくのルーツのようなものがあそこにはあったような気がしています。
まあそれで切り抜いて永久保存版にしようととっておいたのにいつの間にか捨てられて、これからは勝手に捨てないでくれと強く頼んだのですが、それがトラウマになっているんじゃ世話ないなあ。とはいうものの、マンガの古典で岩波文庫並みに手にはいるべきと思うものが現状では手に入らないのに萌えビジネスとか言うなよ!と思うんで(といいつつ自分の年ぐらいは教養として岩波文庫を特別読んでいたわけじゃないのがイタい)、俺のコレクションと言うよりこれは日本の財産なんだと思うようにしています。図書館の本のように他の多くの人に読まれなければコレクションしていても意味ないよ。