戦争とマンガ[lacoアーカイブズ]

戦後60年が経ったわけですが、前々からテーマとして心の中に思い続けていたことをちょっと書いてみます。
まず「サザエさん」なのですが、サザエさん一家はなぜ皇室ご一家と似ておられたのか。もちろんサザエさんは美智子妃であり、波平が昭和天皇ということです。日本の景気がよかった頃に一億総中流なんてことが言われていましたが、その中流のイメージというのはおそらくはアメリカの中流家庭のイメージを戦後の皇室が担って、それが「サザエさん」によって国民の間に定着したのではないかと思ったわけです。そのイメージが崩れてしまったのが昭和天皇の崩御であり、90年代以降日本の国民は中流のイメージを見失ったまま宙づりになって現在に至っているのではないか、というのが私の仮説なわけですが、サザエさんというマンガが福岡のローカルな新聞から全国紙に移ってやがてアニメ化され国民的漫画になっていくうちにどのようにわれわれ日本人に受容されていったのかということを知りたいと思っています。それから手塚治虫ですが、彼もまた戦後におけるマンガの「神様」であり、ある意味で見事なまでに戦後日本マンガの象徴となった、という点ではおそらく日本人にとって戦後「人間」となった天皇の人気と似たような受け入れられ方をしたのではないかと思います(ある意味では私も戦後の昭和天皇のファンであったし結婚を巡って悩む現在の皇太子にもある種のシンパシーを感するところは確かにある)。これは右翼とか左翼とかなどとはまったく関係なく、非常に日本的な出来事だったのだと思っているのですが。そういうふうに考える私にはマンガを研究している人の中でこういうことを考える人があまりにもいないようにみえるのはちょっと不思議です。なので私は手塚の登場によって戦後マンガの始まりを区切るよりも戦前との連続性に重きを置いて考えてみるほうがやはり重要なことなのだと思っているのですが。