再び都心へ[lacoアーカイブズ]

フィルムセンターで行われている「発掘された映画たち2005」では今日の1時からの回で中国で作られたアジア初の長篇アニメーションという「鉄扇公主」(1941)が上映されることがわかっていたのですが、結局思い立ってから出かけるのが遅すぎて、1時までに京橋に着けなくて(それよりも休日ならば早くから見ようと並んでいた人が多かったに違いない。何時頃定員に達したのだろうか)、戦前の貴重なフィルムをビデオで見ることのできる常設展などを見に行ってきました。
水曜日に見た「怪傑ハヤブサ」はモンタージュがなかなか大胆で楽しかったのですが、大胆な省略や暗示的手法(倫理的な配慮から殺人や性的行為などを直接映像で見せないで示すもの。)はなんでも映像化しようとする昨今ではけっこう少なくなっているのかもしれません。常設展の中で異彩を放っていたのに大藤信郎の千代紙アニメーションがありました。とりあえずこれで元はとれたという感じ。

それから都心に出た機会だからと六本木に行き飴屋法水氏の美術イベントを見ることにしました。最近また椹木野衣氏の著作を読むようになり、昨年の「レコード・コレクターズ増刊 JACKET DESIGNS IN JAPAN」(備酒元一郎 編)などは私にとって昨年の出来事ベスト3に入るような意義あるものでした。私がもともとマンガを論じようと思ったのがシミュレーショニズムやアプロプリエーション(流用)にかかわるところだったので椹木氏の著作には常に関心がありましたが、最近石子順造氏の美術評論家としての再評価に結びつくようなことにも手をつけており、私も昨月に石子氏がかかわっていた「幻触」について画廊まで見に行ったりしました。大阪の国立国際美術館では10月から冬にかけて「もの派-再考-」展が開かれるようですが、ここで「幻触」についても展示があるらしいとのことでしたので、動向に注目したいと思っています。以前採りあげた美術手帖の7月号にも大きくフィーチャーされていた李禹煥氏が、石子順造氏との間に深い交流があった頃、それと並行して石子氏とつげ義春氏は毎日のように会っていたということで、あの「李さん一家」は李禹煥氏の名前から採られていたと考えるのが自然と思われます。