80年代は洋楽ばかり聴いていた

RCサクセションは1968年に結成されているのだから、ニューロックやフォーク・ミュージックの時代であって、初期の曲で真っ先に思い出すのは「ぼくの好きな先生」でありますね。


初期のRCサクセション(紙ジャケット仕様)

初期のRCサクセション(紙ジャケット仕様)

キヨシローはまだなんか童顔ですね。まだ自分は小学生でしょう。70年代後半になるとフォークという言葉が使われなくなってニューミュージックというあいまいな呼び方でむしろ感心を失わされた感じでした。
親からもらった小遣いで音楽雑誌で興味を持ったアメリカン・ロック中心にアルバムを毎月選択にいろいろ悩みながら購入していたので、日本のポップスのアルバムには長いこと手を出さなかったのです。パンクロックが日本に上陸した70年代後半でもまだ中学生だったわけで、RCサクセションが本格的にブレイクするまでにはまだ道のりがあったのでしょうが、中学生から大学の間、時間ができると自転車で遠出が趣味になって、多摩蘭坂は自転車で無理矢理上っていました。


RHAPSODY NAKED (DVD付)

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BLUE(紙ジャケット仕様)

BLUE(紙ジャケット仕様)

曲は印象に残るも当時のアルバムを通して聞いてはいません。
とはいえ1980年頃からヒットシングルを連発して見事にブレイクしてから
80年代を代表するバンドになって行きました。この辺は有名なので
FMでよくオンエアされたのを聴いたと思います。先に進みましょう。

梅津和時氏との交遊およびコラボレーションから初のソロアルバム
「RAZOR SHARP」発売までの経緯はわかりませんが、せっかくなので
日本公演でのレザー・シャープスのビデオを見てみたいと思い探してみました。
ブロックヘッズのメンバーが中心で、これがきっかけで80年代初めには別々に
活動していたIan Duryとthe Blockheadsが再結成されて日本公演が実現した、
ということになるのでしょうか。


HAPPY HEADS [DVD]

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川を渡ったというとちょっと縁起の悪い風に聞こえますが
初のソロアルバムで最初に持ってきた曲でもあり
一つステップを進めたということでしょう。
2枚目のソロアルバムはたしか「メンフィス」でしたっけ。


メンバー紹介のほうはこちら

ブロックヘッズのメンバー中心で参加しておりますが、
この1987年にはロッキング・オンがイアン・デュリー&
ザ・ブロックヘッズの来日を大々的に宣伝していたと思います。
この当時の映像があるかどうかですが、服装とか何かタオルの
ようなものを振り回しているところからたぶん以下の
が東京講演と近い時期だと思います。
化粧をしているのでキヨシローとは顔立ちも全然違いますが
チャーミングなオッサンですわな。イギリスでブレイクしていたとき
すでに35歳位になっていて、そのへんがRCが結成後本格的にブレイクする
までの長い年月を思い出させます。
しかしパンクムーブメントって結構30代以上の世代に活躍のきっかけを
与えた革新という面があるのですよ。

これは日本語に訳すのが困難な歌詞でIan Duryの詩人としての才能が
際立っている名作の一つ。

そして大ヒットした代表曲を。

80年代の初めに解散してバンドと別活動していたと思うので
来日時はもしかすると一時的再結成だったかも?
しかしDVDでは1985年に行ったライブなどもあるようで
ライブのほうは折を見ては続けていたのかもしれません。

BlockHeads

Sex & Drugs & Rock & Roll

All the Best Mate

All the Best Mate


Ian Dury はなぜかSteely DanのAjaのメイキングビデオのDVDで証言者として出演していました。
パブロックの周辺から出てきてパンクの元祖のようなデビューをしていますが、
Wikipediaの項目でも冒頭からTalking Headsとともにニューウェーブの先駆けと書かれているというふうに書かれています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ian_Dury