男が少女まんが研究をすることについて

うわー、体調を崩しているのにパソコンの画面に向かうと体が消耗しているのが顕在化して相当きついですよ。
それはそれとして少女まんがの研究会には時折参加させてもらっているのですが、男がいるのはじゃまなのかなと思うことは
しばしばです。男子禁制の回を設けても別にかまわないのですが、まあ私の場合普段からあまりおしゃべりをしない
ひきこもり系の気質もあって気の遣い方が下手という問題もありますし。少女まんがが自分にはとっつきやすいこととも
関連はありますか。

そんな私ですがちょっと前にBL腐女子がテーマの会に参加した時のこと、私がとりあえず知っている身体への意識が強い作家を
時代別に列挙しようとしたときに、うっかり萩尾、大島の名前を続けてしまったら「ええー」みたいな声が出て、あ、こりゃ
しまったと思ったことがありました。70年代の作家って身体への意識を主題化した作家には枚挙にいとまがないので、
あくまで岡田史子との関連でつい名前を出してしまいましたが、もちろん少女まんが研究をしているからと言って少女まんが
を熟知しているとはとても言えませんし、最近で言えばよしながふみは絵柄がちょっと苦手できちんと読んでいない作家に
入ります。自分の場合女性論に対しては消極的というか受け身をとっているし受けの姿勢でないと逆に理解できないようにも
思っているわけですが。逆に少女まんがを通して男性論を展開してみるのは面白いとは思います。
(いやハーレムでも築ければ男に生まれて良かったなと思うこともあるでしょうが、かといって女に生まれる窮屈さも
それはそれで十分に想像できるしさ)

それでですが、萩尾、大島のくくりって「文学的」評価と考えておけばいいものだと思っています。だいたい萩尾望都
長編は少女雑誌に連載中読者からの反応が悪くって周囲の仲間たちが応援はがきをせっせと書いて支えていたなんて
それは本当なのかという伝説を聞いていますし、「バナナブレッドのプディング」は年長向けの『月刊セブンティーン』に
掲載されたのが読者にはさっぱり理解されていなかったなんて話も聞いたことがあります。萩尾、大島は全集や選集が
出されたので、たとえば大和和紀とか女性でこれを嫌いな人がいるのかって「生徒諸君」の庄司陽子とかの人気作家と比べれば、
相対的に読んでいる人の属性が広くばらけているし、長年差別されていた少女まんがの中ではちょっと違うんだという
編集側の野心みたいのものも感じたりするわけですね。そのちょっと違うところに「文学的」を超えたコアな読者層への
アピールがあるのは、女性的な生理に訴えるようなものでさすがに男としてあまり深入りはしないわけですよ。
逆に完全に理解しているなんてことになると女性に嫌われるんじゃないかという懸念はありますよね。まあもういい年なので
普通に茶飲み友達ってふうにいかないのかいって思いますが。地域社会にとけ込まないとだめなのかな。
全く個人的な話でお茶を濁すと幼稚園、小学校の頃から女の子の友達はけっこういたし、大学の頃でさえ片思いの対象になりつつ
自分が片思いしていた女の子に操を立てて共倒れという今思うとなんだか損したと言うか運が悪かったのかまあ仕方ありませんが
男の少女まんが読みとして気持ち悪いというレッテルを貼られるのはやはり単純にいやですね。まあ女ってひどいよな。
自分は団地っ子で同性の友達がほとんど自然消滅して行ってしまって、大学時代の仲の良い友達は鬱にやられるという
状況だったので、男同士でじゃれ合うというのができなくてそれがネックというかつらいところです。

えー頭が働かないので与太を飛ばして文意がよくわからなくなっております。とりあえず困るのは、
「男には女のことがわからない」とは少女まんが界界隈ではよく挑発的に使われるのですが、それをですね、
「男はもっと女のことをわかってほしい」と都合良く読み替える男はきっと相当数いる、それをよもやねらっていると思うのは
(それはどっち向きかわからない罠ですが)難儀なので(わかってくれない方が楽なんじゃないか、ってのはものによりますか)、
フェミニズムがそのへんの男への問いをもっと別の形でがんばってもいいんじゃないのと(思うのは私だけですか、そうですか)。
とても理解し難い文になっていますが今日はうわごとでいい気がしてきました。別の機会にした方がいいみたいなのでこの辺で。