11月11日記す

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

梅田望夫氏のアルファブロガーにしては信じがたいような失態にもかかわらず、水村美苗日本語が亡びるとき』がAmazonで1位になっていますが、それまで一つのレビューも載っていなかったのが今日になっていきなり3つ載って、しかもレビューを読んでも一読の価値があるのか判断がしがたいのですが。

失態と呼ぶのは、ブクマでも指摘されているところですが、そのきっかけとして、作者の名前とか本のタイトルに関係なく(それらを全く伏せたとしても)、「すべての日本人がいま読むべき本」と記事のタイトルにつけることが、常識で考えて宣伝かアジテーションとしか聞こえないと、著名なブロガーとして書籍も出してウェブにもっとも精通しているはずの梅田氏自身がそれに気づかずに書いているはずがなかろうと中身を読んでみたら、本の内容についてせめてタイトルの惹句に釣り合うくらいには説明すべきことを「多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら」などと言って読者に判断の手がかりもろくに提供することなく適当にはしょったことです(このような書評があるとリンクを張るだけでも良かったはず)。思い入れのある本だとうっかりこういう風に書いてしまうのはわからなくはないですが、反発がおこるのはむべなるかな。404 Blog Not Foundでの絶賛がそれに駄目を押すのも皮肉でした。

こんなことをわざわざエントリにしたら負けかなとは思いましたが、仲俣氏、米光氏などプロとして小説を評論する人々がこの作品をあらためて話題にしており、一方ではプログラマ側から弾なんたら氏(苦手なんですよ)や江島健太郎氏などが話題にするなど変に盛り上がっているのでざっと目を通しましたがブックオフに落ちてきたら読んでみようかというくらいの感触。

cnetに投稿された江島氏のブログの記事「英語の世紀に生きる苦悩」へのブックマーク(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/11/10/entry_27017805/)に、
「知識人の書くものが大衆レベル=現地語に響かなくなることが国語の審級の没落なのだから、「読まなくていいや」という人間を説得しきれないことをこの人も梅田氏ももっと恥じたほうがいい。」
と書いてあったのは、自分は別に知識人ではありませんけど、近代日本が翻訳の力で海外の文化をどん欲に取り入れていったことを考えれば、私としてはたいへん頷けるものでした。

書評まとめサイトも出ているようですが、どちらかといえば水村氏の小説を先に読まずに読んでも無駄なんじゃないかという感覚があって、過去の小説のAmazonのレビューを読んでみました。

単におすすめとして紹介しているものは外して、批評しているものを見てみました。

本格小説〈上〉新潮文庫 asin:4101338132

一点 29人中9人が評価
・近代日本の「文学史」を意識して書かれた方法的な小説といえる。しかし前提とされている「文学史」認識が、何となく世間で流布されているイメージに依拠した陳腐なもので、日本近代文学の諸作品を実際には読んでいないのではないかと思わせる点が多い。

五点 6人中、4人が評価
・本編が始まる前に、この話を書くに至った長い話が200ページ弱程続く。著者のアメリカでの暮らしぶりも書かれているので自ずと著者の像も見えてくる。しかし本編の中ではその前の長い話で出来上がった著者の像が見えてこない。
・著者が本編の前の長い話を書いたのは、これまでのこのような日本の近代文学とは一線を画し、あえて作家像を作らせ、本編ではその作家像が見出せないようにしたかったからだろう。

五点 8人中、5人が評価
・文章は繊細で、ひじょうに美しい。
・本作は「19世紀的な小説」としても成功していると思うけれど、しかし作者は同時に、現代では「19世紀的な小説」がすでに成立しえないという不可能性も自覚している。そこが難しい。
・某作家が「この本はハーレクイン・ロマンスと同じじゃないか」と批判していた。
・作者は、前作で、たとえば「日本人がアメリカにわたってその日のうちにアフリカ系の人たちと手を叩きあうほど親しくなる」という類のご都合主義にたいして、あんな展開をどうして書けるのかわからない、と批判している。
・「本格小説の始まる前の長い長い話」は、この19世紀的な小説をぬけぬけと現代に書くことのエクスキューズであるとともに、東太郎の成功をリアリティをもって提示する意図があったのだと思う。

私小説 from left to right 新潮文庫 asin:4101338124

三点 7人中、2人が評価
・書かれてある内容も文体も凡庸であるが、その凡庸さゆえに完璧な私小説パスティーシュたりえていて実に精妙である。
・以上の長所にもかかわらず、これはおそろしくつまらない「私小説」である。近松秋江の「黒髪」のように、どうでもよい話なのに、読者をドキドキさせてこそ「私小説」はその真価を発揮するのだが、本書には、そのドキドキ感が決定的に欠落している。それが今日的「私小説」なのだからと弁解することもできよう。いわゆるポストモダン的「私小説」なのだと。しかし、それではやはり語義矛盾なのだ。

三点 5人中、2人が評価
・多少気になる点もある。一つは、階級や人種、ナショナリティ、言語といったものをその時々で都合良く使い回して、心地よい自己憐憫を演出しているように見受けられること。ちょっとあざといかなとも思う。まあ私小説だからいいんだけど。
・あと、美苗自身の経験から書かれたはずの考えが、よくある「日本は・・・、反対にアメリカは・・・」といったような粗雑で空疎な文化論まであと一歩だということ。そういうのも好きだけども。ともかくもこの物語の終着点は、もはや現在では出発点じゃなきゃいかんのじゃなかろーか


私は水村氏の小説できちんと読んだものは一つはない(というより最近小説を読んでいない)ですが、書評から得た印象は以下のとおりです。

・読者を魅了する筆力はかなりあり(19世紀小説的王道を心得ている)、作者名はブランド化している
・小説の方法に意識的、自覚的(ただしおそらく舶来の)
・近代日本文学の具体的作品について意外と知らない、または興味の範囲が狭い


もともと地味な作家と言えて文学好きを自認する人たちが率直にレビューを書いているようですが、今回の著作についてはこのように話題になってしまったのでレビューから判断するのは困難になるかもしれません。