小倉屋山本

三連休の初日に大阪の国際児童文学館で「講談社の絵本」の講演があって、この機会に東京では欠号となっている資料の閲覧がいくつかあるので見に行こうと、一ヶ月前から一泊二日の予定を組み、格安バスと梅田のカプセルホテルを使えば往復でもう一万円ほど安くなるのですが、エコノミークラス症候群睡眠時無呼吸症候群のリスクを避けて新幹線で行ったところで、思わぬ罠が待ち受けておりました。
新幹線ですから会場につくのは12時頃、閲覧時間は限られていますが二日目は夕方に新大阪出発で朝から一日調べものすればまあそこそこ調べものはすむだろうと思っていたのが、講演会と、そのあとの懇親会にも押しかけて12時過ぎにホテルまで移動して、暑いのでシャワーを浴びて朝目覚めたら体が動きません。先週体調がひどく悪かったのですが週の後半は多少気力で仕事を進めないといかんと思い、木曜、金曜日は駅から自宅までタクシーを使うくらい遅くまで仕事をしていたのがやはりけっこう響いたのでしょうか。11時のチェックアウトまで体を休めて午前中の閲覧は断念したのですが、旅費を考えると用事を済ませないともったいないと思っていたのが、今日は会社で仕事する予定で三連休をデスクワークですごして明日からまた疲れが残ったまま出勤するのはつらいと思って、時間が余っていれば個人的に縁のある神戸に遊びに行きたいという気分が蘇ってきました。使い切れる計算でぷらっとKANSAIのカードを買っていたため、阪急だと10分おきに出ている特急で30分で三宮まで行けるとわかったところで半日は神戸観光と予定を変えてしまったわけです。
とりあえず初日の講演会の前にほんの1時間ではありましたが資料に当たりをつけてざっと閲覧していたので、それがなければ予定変更はあり得なかったのですが、京都のマンガミュージアムに行く機会があれば大阪にも行く時間が作れるだろうと思った次第でした。ところが神戸には震災のあと叔母が亡くなって叔母の住んでいた家を見に行ったときから12年経っていて、実は神戸のほうの地理にそれほど詳しくもないものですから、北野から南京町あたりを見に行くか元町あたりにいくかそれともあまり行ったことのないエリアで面白いところがないかなどと迷っているうちに、コンビニのATMを探したりネット喫茶を探したり道に迷ったりして、神戸を満喫するには程遠いという結果となりました。
三宮だけでも道に迷いそうなのでお好み焼きだけ食べて帰ろうと思ったのですが、新大阪に遅れて新幹線に乗り損ねるおそれが出てきて、そばめしで妥協して大阪に戻ったのですが、出発間際に親におみやげを買って帰ろうと思ってモロゾフのチョコレートがいいかなと思うも新幹線の駅前でいきなり見つけ出すこともできず、困ったところで懐かしの塩昆布を見つけて佃煮で即決、ついでに寿司でも買ってみようかと思って迷ったらバッテラにするかと店員さんから聞かれたのでこれも即決で買いました。たこ焼きは二日目の神戸に向かう前に昼食で食べていたので、とりあえず食べ物関係だけはこだわりました。
それで今日目が覚めてみたら12時前と、結局疲れは残ったままです。食べ物を控えないといけないですかねえ。

肝心の講談社の絵本の講演の話をしていませんが、丸山さんと対談をつとめられた宮本先生のブログを見てもらえばわかりますので、私の関心の範囲でほんの少しだけ触れると、いくつかの本で紹介されていますが昭和一桁年代までは子供向けのマンガでも刀を振り回して首や腕が飛んだり悪党を血祭りなんて残酷描写が珍しくなかったんですね。切られて死んだりするわけですが漫画の世界の中では荒唐無稽の一部として死ぬことのの重みなどはなかった、それどころか戦争に突入していく時期なので殺してもしょうがないくらいのものだったのかもしれません。なので講談社が漫画に力を入れて成功した昭和10年代以降、マンガの中で死を扱うことは根本的なところで困難であり、のらくろでは主人公が負傷して騒ぎになるし、幼児から少年少女向けに戦時の生活を扱う漫画はもちろん多少はあるのですが自分の見た限りでもどことなく物悲しい印象があります。
それから戦前でも子供たちは書店の店頭で漫画の立ち読みに夢中だったことが写真で紹介されておりました。座る場所まで用意されていますが、自分が幼い頃にもかろうじてそんな店があったような気がしてきました。その写真に撮られている時代の子供たちの多くは戦争に招集されて多くの方がそこで亡くなられているのでないかと思いました。招集されるまでの年でなかった子供は子どもの頃親しんだのらくろ冒険ダン吉などの印象が強くて戦後の手塚まんが以降について興味を持たない人のほうが多いとも思えます。
戦後には悪書追放運動が起こりますが、戦前の児童文化研究者などが漫画の内容を好ましいものにしなければならないと考えたレベルを超えて、漫画の内容も読まずに漫画を雑誌に載せること自体がけしからんという運動が庶民の中からも沸き起こってきます。戦前の児童漫画家が絵本や絵物語に転向したり戦前のさし絵画家が仕事を失っていくという状況もみられることを考えると戦前から戦後にかけて手塚世代より上の様々な年齢層の漫画観がどのように変貌していったか(あるいはしないままどう残ったか)というところがやはり興味を惹かれるところです。